ちょうど一ヶ月前のこと。
鳥取子ども学園主催による自主上映映画「隣る人」を見に行った。
Hugくむ
それはとても素晴らしいドキュメンタリー映画で、すっご
「軸になる人ができれば」
「誰かから手紙が欲しい、誰かと一緒にいたい、その誰か
「この子なら自分の子供にしてもいい」
「大好き、大好き、大好き、大好き、大好き、大好き」
「お母さんと、何してすごすの?」
「こちらはどっちでもいいんだ、あなたがどうしたいか決
「苦しいこと悲しいことばかりだな~、でもそれは次に苦
各所に散りばめられたメッセージ。
そして最後に、職員さんが誕生日会で泣きながら伝えた
「むっちゃん、ずっと一緒にいようね。大好きだよ」
ぶわっと、目がしらが熱くなった。
家ってなに。
親ってなに。
家族ってなに。
育てるって・・・。
生きるって・・・。
なんで親じゃなくて施設を選んでしまうのか。
虐待している親でも子どもは親を愛し続けると聞いたことがあったのに・・・。
見たすぐ後に浮かんできたこんな疑問。
でも一ヶ月の時間をおいて思ったのは、親子が一心同体のように感じていることが幻想なんじゃないかってこと。
親子といえども他人だもん。
そうか。ただ隣りにいてくれるってことが、子供にとってこんなにも大きいことだったんだ。
自らの軸が出来上がるまで、軸として支えにできる存在が。
だとすれば親は無条件にそばにいてあげる、それだけでいいんじゃないかとも思えた。
僕の隣りにいる人としてやってきてくれた3人の子ども達へ。
「ずっと一緒にいようね。大好きだよ」
そう、他に隣りにいてくれる人ができるまで・・・。
山地 弘純
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