人数は「うまれる」の上映と比べるとだいぶ減ってしまったけど、それがなんだっていうんだ。
成功の基準なんて誰も定めてやしない。自分が成功と思えば成功なんだ。
その観点からいくと、今回の上映会は大成功で、素晴らしいものであったと思う。
不登校と言うテーマを、60~70名の方々と共有し、一緒に考えた時間は、きっとみんなの中で生かされるだろう。
ただ、今現実不登校と向き合っている人たちにとっては、その問題のドロドロした部分や、いいよと言えるまでの葛藤などを見たかったという方も多いだろう。
これほど大きな視点でものを見るのではなく、ピンポイントに知りたいと願っていた人達にとっては、もしかしたら伝わりにくかったかもしれない。
しかし、僕にとっては、スピケアでの学びとシンクロする部分が現れ、やっぱりそうだったのかと実感できる場面が多々現れた。
そして僕にとっての疑問点であったタイトルの「さなぎ」。
なぜ「さなぎ」と付けたのだろうかとわかりかねていた僕に、監督がアフタートークで答えて下さる。
人には「さなぎ」の時間がある。
その時に外からつつくことによって、さなぎは死んでしまうかもしれない。
さなぎから出てくるまで、そっと温めながら待つ事が大事なのではないか。
学校に行かなくて不安。
勉強が遅れてしまう不安。
だから親はほっておくことができず、つつき続ける。
でも勉強は大人になってからだってできる。
私は大人になってから勉強を初めて大学教授になった人を知っている。
決して遅いなんてことはない。
だからいいんだよって見守ってあげれたら、きっとさなぎから出てきた時、また生き生きと動きだす。
必ず動きだすときは来る。
だから、
さなぎを傷つけないで。
さなぎから無理やり引っ張りだそうとしないで。
その時僕の脳裏に、先日、西平先生に学んだスピケアの講義が蘇る。
「暖かい温泉で卵をかえし、冷房の中に置いておけば夏のうちに鳴かせることができるという、マツムシの促成栽培。
生命の自然な成長を無視し、売る事を最優先とした人間の勝手な論理。
そうした論理が人間にまで応用されている。能力主義による「役立つ人材」の早期育成。
いわゆる「人づくり」政策。「マツムシばりの人間飼育」。
生命はゆっくり時間をかけて熟してゆく。
自然はすべて手堅く順を踏んで実ってゆく。
そうした「時の流れ」を、人間の勝手な都合で急がせることに対する違和感。」
(西平直先生の『教育人間学のために』より抜粋)
僕たちは時の流れを急いでいるのだろうか。
自然と動きだすその時まで待てていないのだろうか。
その子に合った「適時性」があると西平先生はおっしゃったけども、さなぎの時期はきっと「その時」ではないのだろう。
もう一つ浮かんできたのが、法事のお膳の時に語りあった檀家さんとのやり取り。
「昔は学校に行きたくないって子供がいたら、そうか学校なんか行かんでもいい、うちで働いてさえくれればその方がいい。そう言ってたもんだ。それで実際学校行かなくてどうなった。みんな普通にやっていってるだろう」
そうなんだよな。
今はきっと選択肢が一つしかないから苦しいんだよな。
そこしか、学校しか、生きる道がないんだもの。
帰ってから妹に感想を語り合いながらそのことも話すと、うんうんと同調してくれる。
「ほんとにそうかもね。うちの子も行かなくなったら母さんの仕事を手伝えって言おうかな。そうしたら手伝いたくなくて、意外と学校に戻ったりしてね。」
子育てってなんなんだろうな。
学校ってなんなんだろうな。
なんども問い返してみる。
これまでの僕なら多分、有無を言わさず「学校に縛りたい人」だったと思う。
誰かの子が先に脱皮していたらば、さなぎに向って「早くかえれかえ」と急かす人だったと思う。
だけど、よく思い起こしてみると、僕自身急がされる事にとても苦しんできた。
待つということ。
どっしり構えるということ。
すべては大丈夫だと思うこと。
これらを今後僕は子供達に与えてあげられるだろうか。
そして行き詰まった時に逃げ道をなくすようなことをせずに、たくさんの選択肢の提示とともに、前後左右に自由自在に広がった世界を感じさせてあげれるだろうか。
とても意義深い一日だった。
来て下さった方々に感謝。
三浦監督に感謝。
そしてなにより、Hugくむの仲間に感謝。
PS(覚え書き)
朝夢ホールにつくと車がパンクしていて監督の迎えに向えず、焦る。
監督に挨拶を振ろうとしたら監督がいるといっていた場所にいなくて、また焦る。
アフタートークで締めるべく名前を振られた巽さんがいなくて、またまた焦る。
DVDが4回ほど止まり、またまたまた焦る。ドキドキ。冷や汗。
だけど全部なるようになったし、大丈夫だった。
大丈夫っ教のおかげで、心にだいぶ余裕がもててたかな。
終わってみればハプニングも楽しい思い出。
PS2(ボランティアスタッフの高校生たちへ)
そして今日ボランティアスタッフとして手伝ってくれた高校生たち。
被災地へ行った時、貴重な講演をしていただいた後で質問ができなくて高森先生に怒られた。
「なんでこの機会を生かさないんだ!」
そう、あの時は僕も質問できなくて悔しい思いをしたんだった。
人任せにしてしまった。それに言葉にすることを途中であきらめてしまった。
だけど彼女たちは、今回はちゃんとリベンジした。
三浦監督のアフタートークの質問タイム。停滞しそうな流れをその都度変えたのは彼女たちだった。
あの時挙げれなかった手。言葉にできなかった思い。
今回は勇気を振り絞って挙げ、自分の思いをちゃんと言葉にした。
「考えようね。ちゃんと言葉にしようね。一歩踏み出そうね。
勇気を出して一歩踏み出したなら、同じ勇気の者が待っている。」
そんな高森先生の言葉が浸透していくのを感じる。
僕たちが落とした一滴の波紋。
それを小さな波にしてくれた彼女たちの勇気ある姿に、僕は感動した。
山地 弘純
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