そして、2002年6月、初の2カ国共催のワールドカップが幕を開けた。
韓国のスタジアムでの初戦を迎えるデンマーク。もちろん和歌山県民も試合が韓国であろうとも応援に訪れた。
現地に行けなかった和歌山県民も、パブリックビューイングの会場でのテレビ観戦のために、たくさんの人が集まった。
この数週間のうちに、和歌山県民はみんなデンマークサポーターになっている。
「いけー!」
「がんばれー!」
「負けるな、デンマーク!」
デンマークのチームカラーである赤で埋め尽くされる会場。
巨大スクリーンに向かって熱狂する集団の中に、あの少年の姿があった。
A組となったデンマークの初戦の相手は、かつてワールドカップで優勝したこともある伝統国のウルグアイだ。
「約束覚えていてくれるかな?」
少年はそう思いながら、キックオフの瞬間を待っていた。
「ピー!」
午後6時、主審のホイッスルが響く。デンマークの、そして少年のワールドカップが始まった。
試合は開始直後から一進一退を続け両チーム決め手を欠いたまま迎えた前半45分、試合が動いた。
デンマークの選手が左サイドから、ディフェンスの間を縫うようなセンタリングを上げた。
ゴール前でダイレクトに合わせられるボール。
「あっ!」
出せない声を出そうと少年が立ち上がった時、ボールがゴールに吸い込まれていた。
「ゴーーーール!」
次の瞬間、大きな画面上でガッツポーズをする選手の姿を少年は見た。
トマソンだった。
1対0とデンマークがリードして後半が始まった。
すると、開始直後に1点獲られ、徐々に試合はウルグアイのペースになっていく。
しかし後半38分、またもあの男が動いた。
トマソンが今度はヘディングで2点目を奪ったのだ。
このゴールが決勝点となり、デンマークは重要な初戦に勝利。
和歌山の会場も喧騒に包まれる。
「やったー!」
「バンザーイ!」
「デンマーク! デンマーク! デンマーク!」
「トマソン! トマソン! トマソン!」
延々と響き渡るデンマークコール、トマソンコール。
そのコールには、少年の声なき声もしっかりと混ざっていた。
第2戦はセネガルとの戦い。
試合は引き分けだったが、この試合でも、トマソンはPKでゴールを決める。
そしてデンマークの決勝進出は、1次リーグ最後の一戦へと持ち越された。
相手は優勝候補のフランス。
少年は祈った。
「勝って。勝って日本に帰って来てください」
デンマークは決勝トーナメントに進出すれば、日本のスタジアムで戦うことができるのだ。
デンマークは強かった。2対0の勝利。
前回の優勝国を相手に堂々の完封だ。
後半22分にトマソンが決めたゴールがダメ押しとなった。
デンマーク代表は、堂々のA組1位で決勝トーナメント進出を決めたのだ。
オルセン監督は言った。
「試合会場が韓国であっても、和歌山県民の応援はわかった。
あれが我々の力になった」
少年が気持ちを送っていたトマソンは、1次リーグで4得点。3試合すべてで点を決める大活躍だった。
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦。
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドだった。
試合前の予想はイングランド優勢で、マスコミの話題もベッカム一色。
スタンドからは予想通り「ベッカム!!!!」という大歓声が渦巻いていた。
デンマークにとっては完全にアウェイに等しい状況。
しかし、和歌山県民だけはデンマークを必死に応援した。
だが・・・この応援も届かなかった。
0対3という一方的なスコア。
デンマークは敗れた。ピッチに立ち尽くすトマソン。
和歌山県民の思い、そして少年の思いはここで途切れた。
その日の和歌山には冷たい雨が降っていた。
負けはしたが、和歌山県民はデンマークチームを誇りに思っていた。
「よく頑張った!」
「後は快く母国に帰ってもらおう!」
それが県民の合言葉になっていた。
だから、彼らは『デンマークお疲れさま会』を行なった。
会場に駆けつけたたくさんの人々に、
「ありがとうございます」と感謝を述べるオルセン監督。
選手たちも全員出席した。もちろんトマソンの姿もある。
そこでトマソンは『あの少年』を見つけた。
母親と並ぶ少年のもとに近寄るトマソン。
母親は深々と頭を下げる。
少年はトマソンの顔を見上げて、笑った。
トマソンはあの日と同じように通訳を介して会場の片隅で語り始めた。紙の上で。
「せっかく応援してくれたのに負けてしまってゴメンね」
ペンの走りがいくぶん重く見える。
「お疲れ様でした。負けてもカッコよかったです。
それに、約束どおり点獲ってくれたから、嬉しかったです」
今度は「ありがとう」と書かず、少年の目の高さまで顔を下げて、笑顔で大きくうなずくトマソン。
そして、ふたたびゆっくりと文字をつづり始めた。
「ボクから君に伝えることが出来るメッセージは、これが最後です。
しっかり覚えておいてほしいのです」
通訳の文面を読んでから、こくりと頭を下げる少年。
トマソンはまたペンをとる。
「前にも言ったとおり、君には試練が与えられています。
それは神様が決めたことであり、今からは変えられません。
ここまで、僕が言いたいことは、わかりますか?」
少年が再びうなずくと、トマソンは言葉を続けた。
最後の長い文面を書き終えた通訳が、少年の肩に手を触れながらゆっくりと紙をわたす。
文字が数滴のしずくで滲んでいる。
「神様はこうして君に、耳が聴こえない、
言葉を話せないという試練を与えています。
しかしゴールを決めるチャンスも必ず与えてくれるのです。
君はそのチャンスを逃してはいけません。
しっかりと、がむしゃらに、決めてください。
前を向いて生きるという、かけがえのないゴールを」
読み終えた少年が、そっと顔を上げてトマソンの目を見た。
そのとき、トマソンにだけは聴こえていた。
少年の「はい」という大きな声が。
トマソンと少年。
二人のワールドカップの幕が引かれる。
トマソンの耳には、何が聴こえていたのだろう。
少年の目には、何が見えていたのだろう。
あれから4年。
神様は人間に超えられない試練を与えない――。
「さようなら」
「頑張って」
こう言い合うかのように、手を振って別れたトマソンと少年。
二人が笑顔でファインダーに収まる写真が、少年の宝物である。
「日本でワールドカップがあって本当によかったと思います。
何かをやれば何かが動く。
とにかく前に進むことが大事だって、今はよくわかります」
少し大きくなった少年からのこのメッセージが、
今度はトマソンにとっての宝物になるのかもしれない。
(完)
山地 弘純
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