最近僕が毎朝読んでいるお経があります。そのお経の名前は「父母恩重経」
このお経を僕なりに訳していきたいと思います。
ある時お釈迦様がみんなの前で教えを説き、お話されました。
皆さん、あなたたち全ての人々が、父に慈恩があり、母に悲恩があります。
なぜなら人がこの世に生まれるにはさまざまな奇跡が重なりあい、父母を縁としてあなたは生まれてきました。あなたは父の種を受けて母の胎に命を宿します。父なしには生ぜず母なしには育たないのはこの世の真理です。、両親揃わずにはあなたという存在はありません。
このような因縁があるので、母親の子を思うことは、子供の悲しみは全て受け止めてやりたいとも思う「悲恩」とも表わされるように、世間に類いあることではありません。その恩は子供が形をなして生まれてくる前にまでも及ぶのです。
母親は体に小さな命を授かって以来、10か月の間生活をしていく中で様々な苦悩を受けます。その苦悩は休む時がなく、つわりで苦しみ美味しく食事することもできず、体系が変わりいい服を着ようと思ってもできません。しかし授かった命の事を思い、ただこの子が無事に生まれてくればいいと念じて過ごしています。
やがて時が経ち、いざ出産の時に至れば、骨節ことごとく痛み、汗膏ともに流れ、その陣痛の業風は堪え難いほど苦しいものです。
父親も心身ともにそのすさまじさに怖れをなしながらも、そばで一緒に戦っています、ただただ頑張ってくれと願うしかないとしても。家族親族も同じようにその苦しみをわかちあっています。
しかしやっとの思いでその子供が生まれたならば、父母の喜びの限りないことといったら、どんな宝物を得るよりも大きなものなのです。その子の泣き声を聞いた時、衰弱していた母親もパ~っと生気を取り戻し、まるで自分も今生まれたかのようです。
それ以来母の懐を寝床とし、母の膝を遊び場とし、母の乳を食べ物とし、母の情けを命として生きていきます。
お腹が減っても母がいないと食べることができません。のどが渇いても母がいないと飲むことができません。寒い時も母がいないと服をきることができません。暑い時も母がいなければ脱ぐことができません。母親は自分がお腹が減って飢えに苦しんでいても含んだ食べ物を吐いてでも子供に与えます。
自分が寒さに震えていても着物を脱いで子供にかぶせます。
母がいなければ養うことができません。母がいなければ育てることができません。
子供が這うことができるようになると、その10指の爪の中の不浄を食らいます。また母の乳を飲む量は百八十斛にも及ぶということです。
父母の恩の重さは、天に極まりがないように果てしないものなのです。
また、母親が働かなければならない時、家に帰ることがなかなかできない時、今我が子が泣きわめいて自分の帰りを恋いしく待ちわびていると思うと、胸がさわぎ、心が締め付けられ、両乳が流れ出し、堪えることができないほどです。
なんとか仕事を終え家に帰ると、子供が遥か向こうから母が戻るのを見つけ、寝ていたならば頭をゆらし、首を持ち上げようとし、起きていれば懸命に這い這いして、泣きながら母の下に向かいます。
母は子の為に足を速めて身を曲げて、両手をいっぱいに伸ばし抱き上げ、子供に口づけし、乳を出して子供に飲ませます。
この時母は子を見て喜び、子は母を見て喜び、お互いの気持ちが一致する瞬間です。この恩愛の大きさは、これに勝るものはありません。
2才になると、母の懐を離れて行動を始めます。もし父がいなければ火が自分の身を焼く恐ろしいものだということを知ることができません。もし母がいなければ刃物が指を落としてしまう危険なものだということをしることができません。
3才になると、乳を離れて食事を取り始めます。父がいなければ毒で命を落とじてしまうでしょう。母がいなければ薬で病を救ってもらうことさえできないでしょう。
父母が外出し、なにか美味しいものを手に入れることができた時には、自分が食べることをせず、子供に食べさせてあげようと、懐に入れてこれを持ち帰ります。
10度あれば9度は子供に持ち帰り、子供は大喜びでそれを食べます。しかしもし1度でも持ち帰れなかった時があると、泣きわめき父母を困らせます。それくらい与えてもらうことが当たり前になっているのです。
やや成長して友達と遊ぶようになれば、父は衣や帯を子供の為に買い与え、母は髪などの身を美しく整えてあげます。美しく新しい衣類を子供に与え、自らは古くて破れたような服を着ています。
やがて子供は妻をめとります。すると父母とは疎遠になり、夫婦ばかりで親しみ、自分たちの家にこもり妻とだけ語って楽しんでいます。
父母は年が大きくなり、気も力も衰え、頼むところはただ子供のみです。しかし夫婦ともに朝から夜に至るまで、一度も訪ねてくることもありません。
そのうちに父か母、どちらかが先にあの世に旅立ち、一人で暮らし始めると、孤独に押しつぶされそうになることもたびたびです。そばで愛を感じることもできず、また談笑の楽しみもありません。
一人ぼっちの部屋は寒々として、今までのように体が休まりません。それに体が不自由なため布団も不衛生になり、のみやしらみで朝まで眠れないことも何度もあるでしょう。そんなとき何度も寝返りを打ちながら一人つぶやきます。
「あ~私になんの罪があって、このような不幸な子をもってしまったのでしょうか」
何か用事があって子を呼べば、目を怒らしてののしります。嫁も孫もこれを見てともにののしり辱め、頭を垂れて嘲笑います。嫁もまた不幸です。孫もまた不順です。夫婦そろって五逆罪
をつくっているのです。
また、どうしても急用があって、早く来ておくれと呼び寄せお願いしようと思っても、10回呼んで9回は来ません。やっとのことで来たと思ったら、なにもせずに帰り、怒りの捨て台詞だけ吐き捨てていきます。
「老いぼれて世に残るよりは、早く死んでしまえばいいのに」
父母はこれを聞いて怨念で胸がふさがり、涙があふれ、めまいがし、心は壊れ、悲しみ叫びます。
「あ~私はお前を幼少の時より大事に育ててきたのに。私でなければ養うことができず、私でなければ育てなれぬと思い愛情を注いできたのに、それが今となればこんなことになってしまうなんて。あ~私がお前を生んだのは、元よりなかったと思えというのですか」
もし子供が父母を前にしてこのような言葉を発したとするならば、子はその言葉と共に地獄に落ちるでしょう。どんな仏様であってもこれを救い上げることができません。
父母の恩はそれくらい重く、天の極みがないのと同じくらいなのです。
善い心を持つ皆さん、あなたがたには父母の恩がわかるでしょう。
これを大きく分けると10種の恩徳があるのです。
その10種の恩徳を説くことにしましょう。
一には懐胎守護の恩 (かいたいしゅごのおん)
二には臨生受苦の恩 (りんしょうじゅくのおん)
三には生子忘憂の恩 (しょうしぼうゆうのおん)
四には乳哺養育の恩 (にゅうほよういくのおん)
五には廻乾就湿の恩 (かいかんじゅしつのおん)
六には洗灌不浄の恩 (せんかんふじょうのおん)
七には嚥苦吐甘の恩 (えんくとかんのおん)
八には為造悪業の恩 (いぞうあくごうのおん)
九には遠行憶念の恩 (おんぎょうおくねんのおん)
十には究竟憐愍の恩 (くきょうれんみんのおん)
(つづく)
山地 弘純
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