10月25日
森日和先生を善住寺にお迎えしての『ひより塾一年間講座・第5回神無月』が開催されました。
一ヶ月前の第4回は半袖の方が大半でしたが、今回は一気に服装も冬モードです。なんとストーブまで焚きました。
そんな中、日々重いトラベルバッグで筋トレをしているため筋肉がついて、それで寒さに強いのだという持論を繰り広げられる日和先生は、まだまだ初秋の出で立ちです。
まずみんなで先生を囲んでのランチ会からスタートです。
塾生の千賀子さんによる恋愛レクチャーが爆笑でした。
それもこれも日和先生のお茶目で愛らしいキャラクターの成せる業なのでしょう。
「塾生にも独身が多いんですよ。世の男性に一言申し上げたい。こんなに素敵な女性がいっぱいなのに、なにを見とんだ!!!」
と、これまた愛嬌たっぷりに主張しておられました。
先生が調べておられるのは、タイ国王から娘さんへ宛てられた手紙です。
(以下は**tinkerbell**さんのブログより抜粋します)
タイのプミポン国王からシリントン王女への手紙
2004年10月6日 「娘へ」
この世界では、全てのものは常に対をなしている。
闇と光
善と悪
好きな方を選べと言われたら、誰もが明るい方を、良い方を選ぶだろう。
しかし、その願いを叶えるには、明るい方、良い方に向かうには、人を愛することが必要だ。
人を愛することで、あらゆる問題は解決できる。
この世界は幸福で満たされ、平和になり、愛で溢れるようになる。
お前に伝えておきたい。
1. 周りの人をみんな友と思いなさい。共に生を受け、共に歳を重ね、共に痛みを分かち合い、共に天に召される。
過去も、現在も、未来も、いつのときも、全てを分かち合う友だと。
2. 世界の良いところを見なさい。そうすれば世界はより良いものになる。
現実をきちんと見ること。
そうすることで、問題のあるべき解決策が導き出される。
3. 自分の足で立ちなさい。
すでに満たされているのだというベースを自分の中に持つこと。
今あるもの、今得られているものに満足すること。
それがどうであれそれを受け取る。
執着せず、あればいいが、なくてもいい、という考え方を持つこと。
身の丈に合ったものに満足すること。
持っているものが少なければ、得られるものが少なくても、それで満足すること。
ー 、余裕を持つこと。自分を大きく見せないこと。後で困るのは自分自身
ー、そこそこで満足すること、働いて、その働きに見合ったもので満足するということ。
ー 、自分自身に見合った立場でちゃんと生きること。
4. ぶれない心を持ちなさい。
怠惰は罪であり、勤勉さには価値があると知りなさい。
嫌なことがあったときは、またいいこともあるし、楽もあれば苦もある。
賞賛を浴びることもあれば陰口を叩かれることもある。
ついてないときもあれば運に見放されるときもある。
それが自然の摂理なのだ、と唱えなさい。
むやみに嘆いたりせずに、「そういうものだ」と思いなさい。
父より
素晴らしいお手紙ですね。
この内容からもうかがえるように、素晴らしい国王でありましたから国民から大変敬愛され、国王崩御の報に国全体が深い悲しみに包まれたそうです。
沿道に溢れかえる人波の写真を日和先生から見せてもらいました。
喪服を持たない人たちへの無料の黒染めまで行うほどの徹底ぶりだったとのこと。
この愛国心というものに、先生も深く感銘を受けておられるようでした。
このプミポン国王の崩御で目の当たりにした愛国の力の大きさ。
それを日本人に取り戻したいという先生の強い熱意なのでしょう。
さらには先生から日本の天皇陛下に対する深い敬慕の念を感じました。
そして、ランチ会もクライマックス。
「関西人は世界を救う」ということを先生は力を込めて語ります。
悲しいこと、辛いことのすべてを笑いのネタに転化する関西人は最強なんじゃないか。
関西人こそがこの世界の閉塞感を救う存在になる。
そう、日和先生は偉い方との会合の際に熱弁して来られたとか。
さすがです。
僕もそういうことをよく感じます。笑いに転化とまではいきませんが、人生に起こるどんな出来事も、自分史を綴る上での大きなネタとしか思えなくなってきました。
さて、開始時間を大オーバーいたしましたが、ご挨拶をしてから本講座へと入ります。
まず先日の鳥取中部を震源地として発生した地震見舞いのお言葉からでした。
そしてそこから、日本人のすごさについて言及していかれます。
地震大国である日本は、歴史上何度もこういった地震などの災害で一瞬にして全てを失うということを経験してきました。
しかしそれをナマズ様の影響とし、ナマズ様を祀り感謝することで、すぐまた同じ場所へ家を建てるたくましさがあるのです。
男女が補い合って生きていく上で、女性の役割として和み、癒し、包み込む優しさがあげられると思います。男性社会はとても厳しくて、言葉一つ間違えられないような世界です。そんな男性が家に帰ってきたとき、温かい飲み物が届くとホッとすると思います。それを入れてさしあげることができることは大事ですよね。
ということで、コーヒーハンターの川島さんとの出会いのお話へと続きます。
美味しいコーヒーの入れ方についてです。
といってもそれは豆次第で、豆さえよければ誰でも入れれるのだそう。
「ただ日本で飲むコーヒーは香りがしない。コーヒーの潜在能力はそんなもんじゃない」
そう言って川島さんは試行錯誤されるわけです。それでコーヒーの生産地から輸入することになるのですが、いかに速く、いい状態で日本に運ぶかということが難題だったのだそうです。
コーヒーの生産地は治安が悪い所が多く、日本という国は、治安が悪い国からは空輸ではなく船で運ばなければならないのだそう。それを解消するため一旦イギリスに経由して日本に空輸するということにこぎつけたということです。
また香りを保つための容器も問題です。袋ではパンパンに膨れてしまうので、空気穴が付いているのですが、それでは香りを保てないとのこと。また、それにうってつけのシャンパンボトルは、シャンパン以外の用途には使ってはならないという制約があるというのです。
そんないろいろな困難を立ち向いながら、ボトルにもこだわっていったようです。
つまり、環境、そしてそのコーヒーを提供する人の人柄なども含めて大切であり、それらが全て揃って初めて最高級のコーヒーを飲むことができるというのです。
今関西でそれを味わえる所と言えば、リーガロイヤルホテル大阪のラウンジだそう。
行ってみようかな~。
そして川島さんとはどういう人なのかはこちら。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E8%89%AF%E5%BD%B0
日本は恵まれています。
島国であり、攻められにくい地の利を得ていたこともあり、平和な国柄を作ることができました。
それはラッキーだったのかもしれません。しかしその世界を作り、守って来て下さったからこそです。
そんな日本の美しい風景を残したい衝動があるのです。
日本の風景、景観を失いたくありません。
広がる田園、棚田、段々畑、茶畑。
特に茶畑を守るためには、抹茶は世界的にブームですので、お煎茶を飲むことが大事です。
近年日本人はお茶を飲まなくなってきました。また飲むとしても無料です。
お煎茶を買って飲みましょう。
「何を購入することによって、何を守られるか。」
それを考えていくことが大切です。
先生は、この日本の平和と、美しい風景、そこで得られる最高級の実りであるお茶を守る大切さを、コーヒーハンターさんから聞いたエピソードを通じて教えてくださいました。
日韓の関係についても話されました。
今は残念ながら反日教育もあり良好とは言えないものの、日和先生はその一抹の光ともいえる場所に行って来られたというのです。
それは元百済のあった場所で、百済出身の方は親日なのだそうです。
1200年前にあった「白村江(はくすきのえ)の戦い」では百済が圧倒的劣勢だとわかっていて助けに行きます。
↓(白村江の戦い)↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
結局百済は負けて滅亡となったのですが、大勢の百済の人は日本に来てお世話になったというのです。それを今でも覚えておられて親日というのですから、非常に驚きです。
そしてそこで出会ったみね子さんという方。それは名字も知らない方ですが、日本人にお世話になったよねということで話し合うことができたんです。
「そこから話し合うことができるということも一つの外交なのですね。」と日和先生は熱を込めます。一人の生き様が、一人の役人の心を変えるのだといわれます。
「日本の文化をよく知らないと、外国と外交できません。」ともおっしゃいました。
そしてもう一つ。韓国の若い世代は日本人に対する憧れがあることが切り口になるのだそうです。
「過去の問題が解決しなくても、いいイメージが上書きされてくればいい。憧れを持ってくれていることが光です」と先生は前向きです。
日本と韓国を70年で見ると、仲良くできていません。
しかし日本と韓国を1400年で見るとどうでしょう。何度も仲良くしていたんです。
「もっと大きな目線を持ちましょう」と、日和先生は僕らに訴えかけてくるのです。
ほんとですね。響きました。
日本人はほんとに歴史を知りません。近い国だからこそ、お互いの国を知ることが大事なんですね。
そうやって最後を綴られました。
あ、足が・・・ しびれました。
それからしばらくは前回までの「和室での立ち居振る舞い」の復習です。
【立ち姿】
胴づくりとはしっかりと揺るぎない立ち姿を作るというこということで、土踏まずに意識を置きます。手は横にくっつけます。
それは、相手の気持ちを受け取りますという姿勢なのだそうです。
相手の気持ちを受け取るとはどういうことかを、茶卓に載せたお茶を例にしてお話されました。
茶卓をすることには、「熱いですよ、気を付けて下さい」の意味が込められています。ですからまずその気持ちを「ありがとうございます」と受け取って、茶卓ごと持ちます。
それから「大丈夫です。熱くないようでした」と、茶卓のみを外してお茶を飲むんです。
土瓶蒸し、茶碗蒸しなども同じです。
お皿が付いているのは「熱いですよ」という意味です。
もし火傷したりしたら「熱いですよ」というメッセージを受け取れなかった自分の責任です。相手を責めることはできません。
また、手を組むことについてのお話もありました。
目上の人の前で手を組むことは、腕組みと同じで失礼にあたります。
ですが逆に目上の人が腕を組むということにはメッセージがあります。
「どうぞ、リラックスしてくださいね」という想いが込められているんです。
そういう時は受け止めてこちらも手を組むんですね。
相手の想いを受け取るということは大切なことです。
【座り姿】
「生気体(しょうきたい)」と「死気体(しきたい)」があります。生気体は骨盤を立てて、気の通りがいい状態になることで、死気体は骨盤が立ってなく猫背になり、気が行き渡らない、気の巡りが悪い状態になります。
かかとを開いて、その間におしりを載せます。
【歩き方】
糸一本をはさんで、左右の足をすれ違わせるように歩きます。
左右の足の間隔は糸一本です。決して紐一本ではなく糸一本なんだというところに繊細さを感じます。
千鳥歩き(モデルのような歩き方)や、外輪歩き(ガニ股)、内輪歩き(内股)にならないようにも気を付けます。
足の裏を見せないように、畳に平行に歩きます。爪先着地になります。
手は振らず、目線は伏し目がちにするそうです。
【立っての方向転換】
方向転換には二種類あり、引いてする時と、前に掛けてする時があります。
止まっている場合には引いて、歩いている時には前に掛けての方向転換になるのです。
【立ち方】
跪座から真っ直ぐすっと立ちあがります。
【座り方】
右足を半足引く時、左足に沿って擦りながら引いていきます。
風を立てずに、静かに座ります。
女性はスカートが膨らまないようにということです。
【跪座(きざ)の姿勢】
「あ~しんど」ではなく、「今日も絶好調に筋肉を鍛えてるな~」って思いながら跪座するのです。
笑いました。これはまさに代表的な日和語録です。
【襖の開け閉て】
3手で開け、3手で閉じます。前回の「なんでやねん」と「ないない」のツッコミに見立てたレポートを、先生も気にいって下さっていたようで、ネタにしてくださいました。
襖の紙のところは触ることなく、木の部分を触ります。
取っ手もなるべく触りません。一手と閉める時の最後のみです。
ここで両手の使えるエリアについての説明がありました。
↓の場合はアウトです。物を左側に置く際に、左手がエリアを出てしまいました。
それでは左に物を置く場合にはどうすればいいのでしょう。
↓ ちょっとこの写真ではわかりにくいのですが、左足を引き、身体の向きを変えて、上半身を正面にしてから物を置くということです。
「横着するな。自分が動くこと」という言葉があるそうです。
例えば、「お茶を動かすな。自分が動く。」という実践例を挙げられました。
【席入り】
真、行、草の入り方があるそうです。
正座ならば「真」、跪座で入ったら「行」、立ったままだと「草」だということです。
襖の開け閉てと組み合わせると、正座で三手ならば「真の真」、正座で二手ならば「真の行」、正座で一手ならば「真の草」ということになります。
「それでは立ったまま三手なら、なにになりますか」と、先生から質問です。
「草の真です」と、みんながなんとかその時は答えられました。
【座っての方向転換】
お尻はしっかり振りながらも、あんまりグインと回らず、す~っと回ることだそうです。
僕は「グー」をついて回りましたが、あまりにも前傾になって美しくないとのこと。両手の着き方を第二関節から曲げて着くようにし、上半身がなるべき真っ直ぐになる方がいいそうです。
この時、外から雨音が聞こえてきました。
というわけで「雨」に話が脱線です。
雨が大好きなんです。雨の日はテンションが上がるんです。
なぜかというと、長靴が履けるからなんですね。長靴が大好きなんです。
なんで長靴が好きかというと、水たまりに入りたいからです。
それも長靴ぎりぎりのところまで入りたいです。
そんなことを無邪気な笑顔で語る日和先生はとっても素敵です。
僕はこういう知識じゃないことをメモするのが大好きなんですね。
日和先生の人間らしい言葉を拾うのが大好きなんです。
だって知識って心が入ってないし、フッと漏らした言葉にこそ心って入ってるじゃないですか。
今僕は、知識よりも感性に夢中です。
ちなみに僕も雨音がとっても好きなんです。
なんで好きなのかっていうと・・・あ、聞いてないですよね。
話を戻します。
いよいよ今回のメインである「座礼」です。
「九品礼(くほんれい)」といって、座礼は九種類に使い分けておられるそうです。
1、「目礼(もくれい)」
目線だけで行う礼です。アイコンタクト。
「先生、目礼をちょっともう一度やっていただけますか」とお願いして、ナイスショットをいただきました。
みなさんこれですよ、目礼は!
2、「首礼(しゅれい)」
手は膝の上に載せたまま、首礼をします。これはほとんど使わないということです。
3、「指建礼(しけんれい)」
会釈のことで、「お先に」や座った際に「場をお騒がせしました」などに使います。
手がまっすぐに伸びた状態です。
4、「爪甲礼(そこうれい)」
御給仕する人は、手の平を床につけないため、この礼を用います。
5、「折手礼(せっしゅれい)」
手の平が畳に着いた状態の礼です。
6、「拓手礼(たくしゅれい)」
7、「双手礼(そうしゅれい)」
人との関係においては一番深い礼だということです。これからもお付き合いが続きますようにと、両手の間をくっつけて閉じてしまわないということです。
8、「合手礼(がっしゅれい)」
神仏への礼とおっしゃったように思います。
もっとも深い礼で、指と指がくっつきます。
9、「合掌礼(がっしょうれい)」
「これはどんな時というか、自然に湧きあがって来るものがありませんか」と、先生はこの礼に関してだけはこちらに問いかけたというか、含みを持たせたような気がします。
この合掌の型をしたときに、あの人に意地悪してやるぞって気持ちは湧きあがってこないでしょう。
なぜ日本人がこれほどの精神性を保つことができたのか。
この型から呼び起される心、それを感じてほしいのです。
先生からの大いなる宿題だと、僕は受け取りました。
僕は合掌をすると、掌(たなごころ)の中に円をイメージするというか、大きな空間をそこに観ることができます。そして離れていたものが繋がることによる温もりも感じることができます。
マイナス極、プラス極でそれぞれ偏って放出されていたものが統合されたような、穏やかな心地がします。
この問いかけをまた一つの契機にして、より深く感じていけそうな気がしました。
我々が使う一般的なお辞儀は、指建礼、折手礼、托手礼、双手礼、合手礼という風に、流れるように行っていくということです。
目礼、首礼は目上の方が使い、爪甲礼、合掌礼も特別な礼であり、流れの中には含まないようですね。
関係性によって使う礼は変わって行きます。
仲良くなってから丁寧なお辞儀をすると「よそよそしさ」を感じさせてしまうので、それを感じさせないようにということです。
礼が終わり、頭を上げた後の一呼吸が大事です。余韻を残すのです。
これを「残心(ざんしん)」といいます。また会いたいなと思っていただけるような、心を残すことです。
そんな先生の「残心」の言葉を聞いた時、思い出したことがあります。
いつのことだったでしょうか。
見えなくなるまで見送ってくれる人の姿を背中に感じながら、車はカーブを曲がりました。
その時、同乗していた大先輩の僧侶が、
「背中に今でも見送ってもらっている心を感じているだろう。それを残心っていうんだよ」と、僕に静かな口調で教えてくださった、そんな記憶が蘇りました。
日本人はいったい一日のうちに何度礼をしているのだろうと思います。
よく日本人はぺこぺこしていると言われますが、「その回数分心を整えているんだ。」そういった意識で礼をするといいです。
と、日和先生は礼をリラクゼーションとしても捉えておられました。
さて、まだまだ行きます。
「お扇子の扱いとその心」です。
相手との境界線を侵さないために、扇子を置きます。
「己を慎む」という心なのだそうです。
なぜ左手から先に引くのかと言いますと、モノの受け渡しの際、相手は右手で取りに来るので、邪魔にならないように左手から引き、受け取られたら右手を引くことから成るようです。
ご挨拶の時にも、目には見えないエネルギー体同士のやり取りが行われているのですね。
↓ 双手礼が「真」のお辞儀になります。
それとお扇子は、お盆代わりにも使います。
お扇子の上に物を置き、相手にお渡しするのです。
お月謝などもこの上に封筒を載せてお渡しするとか。
「身代わりの扇子」というものもあるのには「MU」でした。
あ、DAI語で、「目から鱗」ってことなんですけどね。
目上の人のお部屋に入ってお給仕をしなければならない時があります。
しかしそんなことは怖れ多くて入ることがはばかられるのですが、自分は中に入っていないということで、扇子を部屋の外に身代わりとして置いておくのだそうです。
「仰げや仰げ 仰ぐぞ仰ぐぞ」
お扇子は全部開かず、半分くらい開いて仰ぎます。
最後に「膝行(しっこう)、膝退(しったい)」を行いました。
和室で立ちあがらずに膝をついたまま移動するという作法です。
一回に畳半畳(たたみはんじょう)分進んだり、退いたりすることができます。
畳のヘリは越えます。
これにて第五回講座をつつがなく終了致しました。
先生に御礼を申し上げます。
双手礼でお辞儀いたします。
頭を上げた後、「ありがとうございました」とご挨拶。
お辞儀はお辞儀。挨拶は挨拶。
一回一動作にすること。一回二動作にしないようにします。
テレビを見ながらご飯を食べないのと同じなのだそうです。
再びお辞儀を致します。
しっかりと頭を上げます。
息を吐いて「残心」を意識します。
今回は休憩もなく、なんとぶっ通しで行いました。
「今回は全部行きましたよ~」と、日和先生も大満足の笑顔です。
ということは、いつも全部行くとは限らないということなんですね~(笑)
計画は、ただの計画に過ぎない。そんな緩さも、日和塾の魅力です。
やはり日和先生の人としての魅力がこの講座を受講する意味なのだと、僕は確信しています。
先生は何度も「責任」という言葉を使われます。
しかし先生のキャラクターがとっても可愛くて緩いんです。
僕は思わずツッコミました。
「あれ?先生、責任ってそんな軽い言葉でしたっけ?」
みんな爆笑しながらも感じているはずです。
責任という言葉が重荷にならないのは、先生の「人柄」の成せる業なのだと・・・。
(完)
山地 弘純
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