大阪から約3時間半。
ようやく特急は「浜坂駅」に到着した。
母さんが車で迎えに来ている。
母さんは変わっていないな・・・
助手席に乗り込み、軽く話をしながら窓の外を眺める。
見慣れた景色が広がっている。
15分ほど車を走らせ、うちに着いた。
車を降りると、懐かしい風を感じる。
大学の時だっていなかったのに、こんなこと感じたことはなかった。
あ~、やっぱここはいいな~。
目一杯我が家の空気を吸い込んだ。
何も変わっていない。
父さんも、母さんも、じいちゃんも、ばあちゃんも、愛犬ララも・・・
お寺の仏様も、本堂も、山門も、境内の庭も・・・
周りの景色も、静寂も・・・
みんな変わらぬ姿で迎えてくれた。
きっとみんな変わってるんだろう。
でもそれを感じさせない、ゆっくりとした時の流れに心が安らいだ。
久々の団欒。
僕が無事に加行を成満したことで本当に家族の家族みんなが喜んでくれた。
認知症でわからなくなっているじいちゃんも、どこかご機嫌だ。
あの時もし諦めていたなら、いったいみんなどんな表情を僕に向けたんだろう、そんなことを考えてみる。
きっとみんながっかりする気持ちを押し殺して、やっぱり変わらず明るく迎えてくれるんだろう。
ただ、僕がそれにいたたまれなくなるだけ・・・
よかった。一緒に笑うことができて。
嫌いだったはずのナスの煮物が、やけに美味しかった。
次の日、僕が加行中に焚いた護摩の御札をいろんな人に配っていく。
ウチの住職のお弟子さんで、いつもお寺のことを一番に手伝って下さるおじいちゃんにも持っていった。きっと普通に受け取って、「これはご丁寧にありがとうございます」って言うくらいだろうな~と僕は思っていたし、僕はついお土産を配るくらいの気持ちでいた。
しかしそのおじいちゃんは、僕の両手をきつく握りしめ、涙を流しながら、「ほんとにありがとう!」と搾り出すような声で言った。頭を下げたまましばらく動かないおじいちゃんに、僕はどう返していいかわからない。
帰り道、ハンドルを執る僕の両手には、いつまでも痛いほどに握りしめられたおじいちゃんの手の感触がジンジンと響いていた。
駐車場を入ると右側にある無縁墓。
山門を入る前に安置されている六地蔵さま。
山門を入ると境内の左におられる弘法大師さま、右にはずらりと並ぶ水子地蔵たち。
正面に悠然と立つ善住寺本堂。
奥にたたずむ阿弥陀堂。
楠や松の巨木。
しみじみと、ここは落ち着く場所だな~と思う。
お寺に生まれて、お寺で育ち、お寺を継ぐ。
これが望ましいことだとは思わないが、僕はその準備を終えた。
12代目住職のじいちゃん。13代目住職の父さん。
そしていつかは受け継いでいくであろう14代目の法脈。
いったいよそのお寺の後継ぎさんは、どういう思いで継いでいくのだろう。
僕は当然のように後を継いでいくことに対する違和感は絶えないし、まだまだ誇れないし胸を張れない。
だけど自分自身思い始めていた。
胸を張れる職業に就くのもいいけど、就いてから胸を張れるところを探していけばいいじゃないかと。
そして、僕にできることがなんなのかも・・・
あれから10年。
決まった答えなどないのだろう。
集ったピースを何度もはめ直しながら、僕は新たな答えを探し続けている。
( 完 )
山地 弘純
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