その家族は今年も帰って来られた。
「こんにちわ~。渋滞で遅れました。」
そう一言ウチのものに声を掛けると、休むことなくすぐさまお寺の霊園に向かう。
2家族で合計7人。
照りつける日射しの下、ぶるぶると汗をかきながら、みんなで一生懸命お墓の掃除をしている。
お墓の中の亡き御霊には男の後継ぎさんがいない。
子供さんは女二人。
二人とも結婚して別の性になっているが、長女さんがちゃんと仏壇をお祀りしている。
だから、そのお宅には仏壇が二つあるのだが。
長女さんと旦那さん、その子供のお姉ちゃんと弟くん。
次女さんと旦那さん、一人息子くん。
大阪から毎年欠かすことなく帰ってきている。
片道3時間。渋滞なら4時間に及ぶ。
お墓の掃除が終わると、お寺の本堂でご供養をする。
水子地蔵にお参りし、お墓参りし、その後ペットのお墓にお参りする。
そう、亡くなったお子さんと、愛犬ルルもここに祀られているから。。。
生まれてすぐからうちにお参りしているお姉ちゃんもいつの間にか高校生になり、めっきり大人っぽくなった。
高校生にもなれば、多分ほかにしたいこともあるだろう。
ほかに行きたいところもあるだろう。
なのに夏休みの家族旅行が毎回お墓参りだとしても、ちゃんと文句も言わずに付いて来ている。
とてもいい子だな~って思う。
お墓参りや法事に行こうと言われ、
「なんで死んだ人のところになんか行かなきゃならんのや!」
そういう言葉を吐く若者はたくさんいるのだろう。
僕も高校のころ、そう思った。
どこかで聞いてきたその言葉に、僕は同調してしまった。
今日は見たいテレビがあるんだよ。
明日は友達と遊びたいんだよ。
生きている自分が一番大事だろ。
死んだもんのところに行ったって、意味ないじゃん。
そんな時、家族からきまってこう言われる。
「ご先祖さまがいなければ、今の自分はない。 なんて罰当たりなことを言うんだ」
そんなことわかってる。
でもなぜ死んだ人にそんなことをしなくちゃならないんだ。
その意味を教えてくれ。
僕はそう思っていた。
僕は、なにか意味が見出せないことはできないという、まさに損得勘定のみにとらわれた憐れな少年だった。
僕はそのまま大人になってしまった。
そのままお坊さんにもなってしまった。
このままでは、きっと子供ができても、お墓参りに行かなくちゃダメだと強く言えない親になるのだろう。
自分に確信がないことを子供には伝えることができないから。
そんなある時、父親と一緒に法事に行ったときに、父親のする法話を聞いた。
今思えば、めったにない、いい機会だった。
実はみんなに話しながら、僕に聞かせたかったのではないだろうかとも思える。
僕は、その時初めて、あ、そういうことなんだなってわかった気がした。
すっきりとした答えをもらった気がした。
それは、人間を木に例えた「自分の木」のお話だった。
僕はまだ小さな一本の木。
大きくなりたいと願っている。
幸せになりたい。
健康でいたいし、お金もほしい。
いい家に住みたいし、美味しいものも食べたい。
もっともっと太い幹にしたい。
子供もほしいし、いつか孫もほしい。
みんなみんなが幸せでいたい。
大きな大きな枝を広げたい。
いつしか、僕の木は大きく太くなっていった。
上へ上へ、それだけを強く望み、今までやってきた甲斐あって。
誰よりも大きく。誰よりも太く。
ある時少し強い風が吹いた。
風は体全体に吹き付ける。
足元を踏ん張り、力一杯我慢していた。。
周りのみんなも懸命に耐えている。
しかし、大きく頑丈だと思っていた僕の木は、悲しいほどあっけなく倒れてしまった。
それを横目に隣の小さな木は倒れずに平然と立ち続けている。
なんでなんだ。こんなに努力して来たのに。
なんでなんだ。子供の為だけを思って一生懸命やって来たのに。
自分達の幸せだけを追い求めて、ここまで大きくなったのに。
こんなことくらいでダメになってしまうなんて。。。
隣の小さな木は言った。
「それは目先のことばかりにとらわれて、根の部分をおろそかにしてきたからだよ。
君の根は、あまりにも貧弱だよ。」
そんな例話の後、父の話はこうまとめられた。
どんなに大きな木になっても、足元がひ弱だったら、少しの風でも倒れてしまう。
どんな困難が訪れようとも、どんなに苦労をしようとも、根がしっかりした木は揺るぐことはない。
根を大切にしなさい。
根の部分というのはご先祖様。
そして、ご先祖様に供養するっていう行為が、根に水をやり、肥やしをやるってことなのだよと。
僕はその話を聞いたとき、僕の根っこは枯れかけているかもしれないと思った。
小学校1年のときに、葉っぱじゃなくて根っこに水をやるように教わったのに。
水も肥やしも葉や枝にかけていた。。
まさに上にだけ伸びようとしていた木だった。
きっと少しの苦労で倒れてしまうような根元の弱い木なのだろう。
お墓参りや法事を大切にしなければならない意味がわかった。
これで自分の中で納得できた。
あとは実践していくだけ。。。
相田みつおさんの言葉にもある。
「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ」
そう、根の部分は見えない。
もっとも大切な部分というのは、目に見えないものであることが多い。
僕を支えてくれるお父さん、お母さん。そしてばあちゃん。
その下の土で見えない部分から、じいちゃんが支えてくれている。
その下にはひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん。
その下にはひいひい・・・。
その下にはひいひいひい。。。
根を伝っていくと、限りなく下まで伸びている。
やせっぽっちの根になっていないかい?
ちゃんと栄養は届いているかい?
これから太い根にしていくように努力するから。
たとえ小さな木だっていい。
根がしっかりと土の深く深くまで張り巡らされているように。
「根を養えば木は自ずから育つ」
子供を必要以上に育てよう育てようすることはない。
根である親やご先祖さまを大切にしている姿を見せていれば、きっと勝手に育つのだろう。
この7人の家族の姿は、まぶしいくらいに輝いている。
枝の先から根っこまで、一本につながった命の姿が見える。
「また来年来ますね」
そんな言葉を残して、大家族はまた大阪へ帰っていく。
いつまでもうちの愛犬クーをなでていて動かないお母さんとお姉ちゃんに向かって言った、弟くんの言葉が印象的だった。
「早く行かんと遊ぶ時間なくなるやん。」
ほんまやね。
お墓参りも終わったし、思いっきり遊んできてな。
そしてまた来年。
一回り成長した姿を見せてくれよな。
根にたっぷりと水をやった彼の木は、きっと枯れることなく花を咲かせるだろう。
たとえ死んでもいのちは尽きることはない。
ただ見えなくなるだけ。
それでもしっかりと残された命を支え続けている。
山地 弘純
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