病と闘う奥さんのお話を聞いたのは一昨年の夏の棚行のことだった。
生きるという意欲は、時として信じられない力を生みだすということを教えられた。
あと数カ月という医師の宣告の期間を越え、一年半以上も命を永らえていたということだ。
しかし今年の3月半ば、ついにこの世を去られることとなった。
享年62才。まだまだ早すぎる別れだった。
車いすに乗った彼女とそれを支える旦那さん。周りを囲むお子さんたちとまだまだ小さなお孫さんたち。ホールに飾られたデジタルフォトフレームから切り替わる何枚もの写真。
そこには笑顔の輪があった。かけがえのない温もりがあった。病を通じてより強く結ばれた絆が見えたような気がした。
僕は熱くなるものを感じながら、粛々と引導をお渡しした。
あれから半年。
新しく墓地を買われ、お墓を建立したとの連絡が入った。
そして、お彼岸に入る前日の9月19日、お墓の開眼作法を行うこととなった。
連休の渋滞に巻き込まれながら、車で大阪の三島郡へと向かう。
約3時間半。距離も時間も、何度も来るのでもう慣れた。
遠い場所だからと恐縮して下さるが、いまでも都会に出ても変わらずお付き合い下さることに、こちらの方が感謝するばかりだ。
墓地は、お宅から10分ほどの川の堤防沿いにあった。
近くて便利のいい場所だな~と思った。
免許のない旦那さんは、自転車で来れると喜んでおられた。
家族、親族が集まって来られる。
やっぱり大勢でこういう儀式を迎えられるのはいいものだ。
僕は、みんなに儀式の意味を精一杯お伝えしようと思った。
まっさらなお墓。
祝福するかのように、さんさんと照りつける日差し。
本当にいい日になっって良かった。
誰もがそう思っていたに違いない。
魂を祀るのがお仏壇。肉体を祀るのがお墓。僕はそのように捉えている。
人は死ぬと魂と肉体とに分かれる。
魂はもうすでに仏の国へたどりついていることだろう。
肉体はまだ骨壷の中でお骨で留められ、歩みを進めていない。
土に埋め、大自然に還してあげる今日が、旅立ちの日と言えるだろう。
みんなでお骨をさらしの中に移し、お墓の底の土の上に安置した。
お骨があると、まだそばにいるような気がするのだろう。
お骨を埋める時に涙を流す姿もあった。
これで止まったままの時間が進み始めた。
土に還したお骨は、やがて空気に触れ、水に触れ、長い年月をかけて大自然に融けていく。
地、水、火、風、空、識。あなたはどこにでもいる。いつか風になったら、あなたの家族にそっと語りかけてあげたらいい。
きっとみんなが、あなたのメッセージを待っているから。
その後、お墓の開眼l供養の作法を行った。
お墓を建てただけでは、それはただの石にすぎない。お墓の石の部分は塔であり、仏さまの入る場所である。
亡くなった人を埋めた土の上に、仏さまの供養の塔を建て、仏さまに抱かれて大自然に還っていくのがお墓という場所なのだ。
だから仏さまにお墓に入っていただくように開眼作法を行う。この新しい墓石には、お大師様の文字が彫られている。どうかお大師様の温もりに包まれて、ゆっくりと土に還っていってほしいと思いながら印を結んだ。
ちなみに開眼というのは、仏像の場合最後に眼を入れて初めて魂が入るため「開眼」というらしい。
しかし開眼にはもう一つ意味がある。
供養する人達の、心の眼を開くことだ。
「この石に、故人の姿が見えますか?亡くなっても、みなさんを見守っていてくださることがわかりますか?」
僕は問いかけた。
誰もがうんうんとうなずいている。
「見えないものを見える眼を開くことのが、この開眼供養の本当の意味なんですよ」
うまく伝えることができたのかはわからない。
ただ、みんなが一生懸命手を合わせて下さった。
人のやさしさとか思いやり。
人と人とのきずな。
愛。
生かされている命。
過去から未来へつながる命。
この世でもっとも大切なことは、目に見えないことばかりだ。
心の眼を開くこと。
一つの死を通じて、人はその力を手に入れることができるのかもしれない。
どうか見えないものを見てみてほしい。
見えなくても感じてほしい。
きっと死してなお、土の中からあなたの根となって支え続けて下さっているはずだから。
山地 弘純
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