ひゃっ!
そのあまりの冷たさに、僕の心臓は鷲掴みにされたみたいに縮み上がった。
温かいはずの肉体の残像のせいかな。
それともドライアイスで保存しているせいかな。
とにかく、死体ってこんなに冷たかったんだ。そう改めて思い知らされた。
久しぶりだった。
最近ではほとんどが入棺後に伺うので、布団に寝かされた姿に出会うことはなかなかない。
顔にかけられた白布をはぐると、痩せ細っていない肉感あふれる頬と、穏やか表情が目に飛び込んできて印象に残る。
綺麗だな。
まだ生きているみたい。
僕はその頬に手を当てる。
そしてひゃっと手を一瞬引っ込めながら、その冷たさに動揺してるってわけ。
死ぬってこういうことなんだな。
生きてるってあったかいんだな。
死者の身体と対話するかのように、僕は命をしみじみと身体で感じる。
癌におかされて大変だっただろうに、「癌になったみたいで、どうしようかね〜」っていつもアハハハハって笑ってたというおばあちゃん。
もう一度手を伸ばして、故人の頬から顎にかけてを手のひらでそっと愛おしみながら何度も撫でた。
魂の離れた肉体から感じてくるのは冷たさと硬さ。
あの温もりと柔らかさはもう過去のものだ。
撫でる五本の指先から五光をイメージし、光明真言を唱える。
その名の通り光のマントラ。
「迷いの霧おのずから晴れ 浄心の玉明らかにして 真如の月円かならん」
僕は二つのことを故人に告げる。
「一つは、光に向かって進んでください。」
「そしてもう一つは、待っている人がいる、そう思って進んでください。」
阿字の子が 阿字のふるさと 立ち出でて
また立ち還る 阿字のふるさと
これが真言宗の世界観。
「阿」という大日如来という大河の源よりすくい上げられた小瓶いっぱいの水。
これが私たちの命。この限りある肉体に宿された命。
やがてその小瓶が水を入れておけなくなった時、また大いなる源へと還っていく。
肉体をもっての命には限りがあるけれど、
魂をもってのいのちは永遠なのだ。
その阿字のふるさとへと、引導をわたす。
死後身体は冷たくなって形を留めておけないんだけれど、その温もりはきっとしっかりと遺された愛する人たちには記憶されている。
僕はそう思うんだ〜。
山地 弘純
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