「なにか見えるんですか?」
その問いかけに僕は「え」と少しとまどいながら返した。
「僕はなにも見えませんよ。」
「ほんとに不思議なんです。戒名のことです。あの子のこと、全部わかってるみたいな名前になってるからです。」
その女性の娘さんは若くして自死を選んだ。
そのお母さんは、ずっとこの戒名のことが気になっていて尋ねてみたかったらしい。
実は葬儀の前日に住職不在で、戒名だけ当時副住職だった僕が付けた。
自死のイメージを払拭するような、死した後の彼女の素敵なイメージを描きながら。
半年以上たった納骨法事の席で、ようやくにその戒名を実は僕が付けたこと、どんな思いでその漢字を選んだかを伝えることができた。
それを聞いた彼女は、ますますその不思議さに身ぶるいしたらしい。
名前から取った一文字。
そして亡くなった後にスピリチュアルなメッセージをもらえる人に見てもらったら、月の光になって照らしてるよって言われ、戒名に「月」「光」が使われてるって驚いたこと。
さらに娘さんの友達何人かが時々お参りがてらご飯を食べに来るらしいのだが、その時「戒名見て鏡月って書いてあってびっくりした。住職さん知ってるのかと思った。だってB子っていったら鏡月アセロラっていうくらい一緒にお酒を飲むとそれだもの。」とこれまたみんなで驚いたこと。
全ての文字が余すことなく娘さんにぴったりだった。
そんなこんなで冒頭の言葉に繋がったらしい。
「僕には見えません。ただあえて言うならば、閃いたとしか言えません。」
それから30分くらいずっとお話を聞いた。
堰がきれたかのように溢れてきた母親の想いだったのだろう。
なんて穏やかで安らかな表情なんだろうって思うくらい、綺麗な死に顔だったし、検死した人もそう言ったということだった。
娘さんの死を肯定したい想いがヒシヒシと伝わってきたけれど、それを邪魔するように自死に対する罪悪感が覆いかぶさっているのも感じた。
僕は「生ききりましたね」「穏やかな表情が全てを物語っているのかもしれませんね」という肯定の言葉をお母さんに贈った。
僕は死を祝福する人。
死にまとわりついたイメージを払拭する人。
マイナスがあるからには必ずプラスがあるから、それはひっくり返すことだってできると、僕は知っている。
そう、そのために新しく渡した名前が、信じられないほどに彼女と繋がったと喜んでもらえたことが、僕はとても嬉しかったんだ。
自死という特別視していた死だからこそ、僕にとってもこの出会いは大きかったなと思う。
不思議なシンクロを、ありがとう。
響きあったね。
残された人たちの心に刻まれた死。
それは死んだ人のものじゃない。
死よ、輝け!
するときっと生も輝く。
山地 弘純
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