「家族を美化する古き良き日本の考え方から、家族というまとまりを守らねばならないという呪縛にとらわれていること」
「家族による心配・拘束が一人一人の精神的自立を妨げているだろうこと」
そんな家族同居の弊害を指摘する声に、僕は耳が痛かった。
その通りかもしれないと・・・。
「家族ほどしんどいものはない」
「家族という名の病」
「毒親との絶縁」
「長男教の洗脳を解け」
「結婚なんて紙切れ一枚でお互いを縛る制度に意味はない」
そんな世間を飛び交う様々な言葉に、たくさんイライラもしてきた。
そうだ。それは僕の心の問題。
僕は僕自身がそこを我慢して乗り越えるべきだと思っていたから、自分の気持ちを押し殺してでも家族の体裁を守るべきだと思っていたから、だから苦しかったんだろうね。
家族がばらばらになったっていい。
みんな好きなことをやったっていい。
親を捨てたっていい。
夫婦が添い遂げなくたっていい。
これらを言葉にするのはとっても勇気のいることだったけど、そこにあった「べき」を取り外してから家族に再び向き合ってみると、案外風通りのいい新しく素敵な関係が開けてきている予感を静かに感じてる。
「今どき大家族に執着するなんてダサいよ」って言われるかもしれないんだけどさ、あえてもう一度こだわってね、そこから起こる化学反応みたいなものを確かめてみたいって思ったりもするんだ。
もちろんそれができなかったとしてもそれでいい。
やるだけやったけど数年後には一人ぼっちになっていたっていうのでもかまわない。
僕はただ、やってみたいんだよね。
家族を否定する過程はもう乗り越えた。
いや、まだ続いてるか(笑)
多分ね、自分にまとわりついているちっぽけな価値観や常識を越えたところにある大きな世界に心が飛び出すには、どうやっても家族の否定は必要なことだったのだろうね。
僕はそのちっぽけな家族の価値観枠をぶっ壊して自由に感じられた心を、もう一度家族ってフレームに戻してやりたいんだ。
瞑想でいう、自身の身体の中にある心を宇宙大に拡大していく広観のあと、宇宙を再び自身の身体に縮小し戻してやる斂観みたいに。
それが僕の描く家族のビジョン。
3年前に叶えた全員での家族旅行という夢は、新たに加わった3人目の娘のためにもう一回やり直し。
今度は城崎っていう超プチ旅行だったけど、僕は満足だよ。
父さん母さんに96歳のばあちゃん、妻に3人の娘たち。そして僕。
たまたま同じ時代に血を分け合った8人の家族たちへ。
サンキュー☆
これから訪れる新時代。
僕たち家族は亀の背に乗り、龍宮へ向うんだ。
家族の「呪」から家族の「祝」へ!
山地 弘純
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