平成17年生まれのシェルティーの空(くー)が亡くなった。
もうすぐ満10才というところだった。
ほんとによく生きてくれたねと、ただただ感謝している。
出会った時、コホコホとした咳が印象的で放っておけないなって思ったこと。
1才前ぐらいに急に発作が起き始めたこと。そしてそれはジステンパーというほとんどが死んでしまうという難病であるということ。
あらゆる治療をほどこしたが、特に嫁入り前の妹が毎日自宅でインターフェロンの注射を射ち続けたこと。
この子はどうやら90パーセントを越えるという死を免れたが、毎日後遺症に悩まされることになったこと。
毎日の痙攣を、家族がただ見守ることしかできなかったこと。
気休めのような粉薬を与え、せめてもと足のマッサージを続けたこと。
小粒の餌さえ飲み込めなくなり、ミキサーで粉にしたドッグフードと野菜と水とを混ぜた流動食を食べるようになったこと。
痙攣で我を忘れコンクリートに体を打ちつけるようになった空のために妹が牛乳パックの家を作ってあげたこと。
僕の二人の子供たちはただ寝て居るだけの空の牛乳パックの部屋でころころと遊んでいたこと。
ついに、ひどい毎日の痙攣でも失わなかった食欲がなくなり、断食の中、次第に弱々しくなっていった。
その日の朝、僕が急いで階段を駆け降りた時には、すでに息を引き取った後だった。
まだ温かい空を抱きかかえながら、「ほんとによく頑張ったね」とみんながねぎらった。
1才の時、僕達家族は空の死を覚悟した。
あれから9年。それは即ち闘病生活が丸9年ということを意味する。
苦しかったよな。
辛かったよな。
不安だったよな。
いや、もしかするとそんな感情は当てはまらないのかもしれない。
ただ空は、いろんなことを僕達に示してくれた。教えてくれた。
最期まで生き切ってくれた。
寝た切りにはならなかったが、トイレに行くこともできにくくなり、オムツ生活だけでも2年ほどになる。
トイレの失敗のたびに玄関で活躍する消臭スプレーと香りの強いお香。
のぞみ、まゆ、空、時には甥っ子のオムツがぎっしりで、半端ない重さのゴミ袋。
それもこれも今ではいい思い出。
みんなで空(くー)を段ボール箱におさめ、その中にお花を入れた。おばちゃんが買ってきてくれた綺麗な花。
僕の娘2人も、妹の息子も一緒に別れを惜しんだ。
そして鳥取の火葬場へ。
向う途中に田中動物病院へ寄った。
先生がわざわざ空のために時間を作ってくださった。
「よくがんばったな~」
やはり同じセリフだった。
「お前長生きしたな~。」と言いながら僕達兄妹を見て、
「お二人とも若かったのに、今はこんな結婚してそれぞれ子供連れてるんだからな~」
そして「あっちは病気もないいいとこだぞ」と空の体を撫でられた。
僕の瞼に涙がにじんだ。
結婚して、子供が生まれ、その人数が増えて行くにつれて、関わる時間が減ってしまってごめん。
それでもただそばにいてくれてありがとう。
空、ほんとにありがとう。
愛犬空は白いお骨になった。のぞみとまゆの二人は、骨拾いに立ち会い、初めての死を教わった。
山地 弘純
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