箱を整理していたら数枚の書き置きがでてきました。
おじいちゃんがお葬式の時に話された法話がそこには書かれていました。
読みながら僕は感動しました。
あ~僕が書き記していることと同じじゃないか。
同じ真言宗のお坊さんであっても、思想や導き方が違う場合がほとんどです。
しかし僕とおじいちゃんの考えている内容は、驚くほど重なっています。
おじいちゃんからお父さんへ、そして僕へ受け継がれた意思、いや遺志の重みをヒシヒシと感じました。
今後さらに僕が受け継いだものを昇華し、伝えて行きたいと心に誓ったのでした。
「およそ、この世の中に生きとし生けるものは、みないつまでも生き続けていこうとする生の要求にもえているのでありまして、小さな虫けらでさえも、死にたくないと一生懸命に生命の保存にあくせくしているのであります。
まして生命に対する自覚をもっている人類は、特別に長命を欲するのでありますから、若死にを不幸とし、長生きを幸福とするのであります。
天寿を全うし、安らかに最後の息を引き取ることこそ誰しもの願いで、いつまでも健康で長生きしたいものであります。
「仁者(にんじゃ)は寿(いのち)長く、廉者(れんじゃ)は富む」という教えがあります。
慈しみの心をもって人を愛し、無益の殺生をせずに、物の生命をいたわり育て、物品を大切に取り扱い、人に物を施すことを喜んで、不義の富を求めない。
こういう正しい生き方をすれば、かならず長命ができるという教えであります。
昔から長命をした方の体験談を聞いてみますと、正直で働くことを楽しみとし、無欲で楽天的で、取り越し苦労をしないということでありますが、そういう暮らし方は信仰心から生まれてくるのであります。
不殺生には長寿の徳あり。好んで殺生をするものは短命である。と仏教では説いておりますが、それは仏心とは大慈悲心是なりで、我々が慈悲心を持ちましたら、それがみ仏の心と一体となるのであります。
み仏の生命は無量寿でありますから、百とか千とか万とかいうような期限がなく、いつまでも尽きることない無限の生命であります。
それ故、我々がみ仏に帰依して、自分がみ仏と一体になりましたら、この五尺の肉体は、土となっても灰となっても、魂は永遠に滅びない真の生命を得ることになるのであります。
かくして今日の霊位は、たしかに極楽浄土へ引導申し上げましたから、八葉の連台にお昇りになりました。
とはいえ、ご遺族の方たちは、やはり寂しい思いをなさるのです。大切な方をお亡くしになりますと、家の中が歯が抜けたような空虚さを感じるのであります。
在りし日の面影、言い残された言葉を忘れずに、その志を受け継いで、正しい生活を続けていただきたいのであります。
どうか毎日のご供養を怠らぬようにしてください。特に毎日のお茶湯をかかさないように。
香ばしいお茶をお供えになるとどんなにか喜ばれることでしょう。それがなによりの供養なのであります。」
(故 良照 記)
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日