ある男がどうやら死んだらしく、閻魔大王の前で裁きを受けることになった。
しかし閻魔大王は男に言った。
お前はまだ死ぬ予定になっておらんな。
どうやら手違いのようだ。
もういちど元の世界にもどるがいい。
そうだ。
せっかくだから地獄と極楽を見学していってはどうだ。
男はせっかくだから地獄がどんなに怖い所で、極楽がどんなに素晴らしい所かみておこうと思った。
男はまず地獄に案内された。
すると、大きな釜にぐつぐつとお湯が湧いている。
なんと釜の中には、美味しそうなうどんが煮えておった。
そして大勢の人たちが、長い長いはしを持って釜を囲っている。
うどんをみんなが食べようとしておるようだった。
もっと恐ろしい場所を想像していた男は、その光景になんだか拍子抜けした気分になったが、じっくりと人々の様子を眺めていた。
しかし誰もが、はしが長すぎて、うどんを口に運ぶことができない。
もう少しで口に入りそうというところで、いつもツルんとうどんは落ちてしまい食べることができない。
だんだんとみんなが恐ろしい表情に変わっていく。
空腹が蝕んでいく。
怒りと苦しみに覆われていく。
そんなみんなの鬼のような姿を見て、男はこう言った。
「あ~これは地獄だ・・・」
次に男は極楽へと案内された。
すると全く同じように、大きな釜にはぐつぐつをお湯が湧いていて、中には美味しそうなうどんが煮えておった。
周りには大勢の人たちが、やはり長い長いはしを持って釜を囲っている。
なんだ同じじゃないかと男は思った。
しかし極楽の人たちは違っていた。
その長いはしを自分の口へ運ばず、となりの人に食べさせてあげていたのだ。
そして自分はとなりの方から食べさせてもらっている。
美味しいうどんをいただき、みんなが笑顔だった。
満たされた思いが、周りを優しく包む。
そんなみんなの仏様のような姿を見て、男はこう言った。
「あ~、これは極楽だ。」
男はしっかりと胸に焼き付けて、生の世界へ戻っていったそうな。
これは昔聞いた地獄と極楽のお話。
今でもはっきりと覚えている。
地獄も極楽も、実は心の中にあるのだ。
心の持ち方で、それは地獄にもなり、極楽にもなる。
地獄は血の池や針の山に恐ろしい鬼。
極楽は花咲き乱れる園に美しい天女。
そんな姿で表現されることもある。
違うように見えて、その本質は同じである。
死んだら精神の世界に行くのだとすれば、自分の心が、行き先を決めるのだろう。
山地 弘純
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