「生まれ変わり死に変わり、過去の永遠の命を受け継いで、私達は今、自分の番を生きている。それが私の命です。それがあなたの命です」
もうすぐお盆がやってくる。
お盆はご先祖様のご恩に感謝し、供養する行事である。
亡くなった母親を餓鬼道から救う為、8月15日に多くの人に施しをし、お経を唱えてもらい、善行を積みなさいというお釈迦様のみ教えから始まった。
餓鬼道とは欲が深く、貪りの心が膨らみすぎた人が死んだ後に生まれ変わる世界と言われている。だからこそ、お盆には家族親類が集い、ご先祖様との一時を過ごし、自分の日々の生活を省みなければならない。
仏壇には精霊棚をお祀りする。本来は別の祭壇を設けるのだが、最近は仏壇に飾ることが多い。仏壇の下段、もしくは前机などを用い、ゴザやむしろを敷く。そこがご先祖様に座っていただく座布団である。
おがらや割り箸などで足を付け、きゅうりの馬、茄子の牛を飾る。これはご先祖さまをきゅうりの馬で足早に迎えに行き、茄子の牛で送りゆっくりと帰っていただくためとされている。
水の実を蓮の葉に載せてお供えする。茄子やきゅうりを細かくサイの目に切り、それに洗米と水を加えて混ぜ合わせたもので、餓鬼に対する施しである。餓鬼は喉が針のように細くて普通のものは飲み込めないので、細かくして飲み込めるようにする。
その他、季節の野菜や果物をお供えする。
また、仏壇上部にはおがらを横に渡して、ほおずき、ソーメン、ささぎを掛ける。ほおずきは「鬼灯」と書くように、お迎えするご先祖様を照らす提灯となる。
ソーメンには命と命のつながりを大切にして、いつまでも細く長く、という意味があり、ささぎはみんなが長くマメに暮らせるようにという思いが込められている。
その棚を設置した後、お坊さんにお経をあげていただく行事を「棚行」という。
僕が初めて棚行を回り始めたのは小学校3年の時。その春得度して、仏様の弟子になった僕は、おじいさんに連れられて檀家さんの家々にお参りした。
最初はおじいさんと一緒でなければ行けなかったのだが、年を経るにつれて一人で行けるようになっていく。そのうち、父さん、おじいさん、僕の3人で手分けして、あっという間にお参りを終えることが出来るようになっていた。あれから24年。おじいさんが亡くなり、父さんと二人で毎年お参りを続けている。
僕はここ8年ほど、都市部の棚行にも毎年行くようになった。田舎から都市部に移られてからも、変わらず善住寺とお付き合いいただいているお宅が何軒かある。僕が副住職として帰って来るまでは、なかなかお参りに行けてなかったようで、「ウチは遠いけど棚行に来てほしい」という声が増えてきているということだった。
ある時法事のお斎の席でこのような話を聞いた。
「ずっとご無沙汰だし、うちはもうお寺を変わろうかと思ってた。だけど震災の後で住職に電話をもらったことがすごく嬉しかってな~」
それで今も檀家でいてくださる。ありがたいと思った。よそに離れていってしまったお宅とは疎遠になりがちだ。遠く距離的に離れてしまった分、ますますつながりを大切にしないといけないな~と感じた。うちのことなんて忘れてるんじゃないか、などと不安にさせてはいけないということも。
初めて都市部に行った時には、もちろん初対面の方々ばかりで、しかも住職が来ると思われていただろうから、きっと戸惑われただろうな~と思う。僕も緊張していたし、何を話していいのかもわからなかった。
お互いにぎこちないやりとりが続いた。ただ、お仏壇に向かって精一杯声を張り上げる。やっぱりこんないきなり押しかけて、迷惑だったのかな~という思いも頭にチラついた。新しい何かを始めるのは難しい。。。
だけどあるお宅で、「来年もまた来てくださいよ!」と強く言ってもらえて、すごく嬉しかったのを覚えている。今では、多くのお宅から、迎えていただく温かさをひしひしと感じて、足取りも軽い。ありがたいことだ。
今年も7月の土、日、月を使って京阪神方
面へお参りしてきた。
あるお宅では、過酷な闘病生活のお話を聞いた。癌、くも膜下出血など、度重なる身内の病。それと必死に闘っていく家族。生きるという意欲が永らえさせる命。僕はただ胸を熱くして、うなずくのみだった。
病と闘う側、看病する側、それぞれのお話を伺いながら思った。病はたしかになった人しかわからない。だが苦しみも痛みも一人だけじゃなく、家族全員が共有しているのだと。
きっとこの方たちの人生のページは、多くの試練と立ち向かっている分、ものすごく分厚いものになっているのだろう。
帰り際に言われた。「今日は田舎の話ができて楽しかった。それに病気の話も聞いてもらえて嬉しかったし、なんかすっとしました。」
その言葉を聞いて、僕も嬉しかったし、なんかすっとした。
またあるお宅では、普段はおばあさん一人で住んでおられる小さな家に子供達夫婦が大勢集って、毎年法事のようになっている。おばあさんが毎年嬉しそうに言う。「今年もみんなが来てくれました」
友人にも恵まれ、カラオケ、温泉、旅行など実に毎日を楽しんでおられる様子を生き生きとした表情で語っておられた。
そんなおばあさんが今年は少し元気がないとのこと。聞けば、仲良くしていた近所の友達が亡くなり、どうも心が沈んでいるようだ。子供さん達は何とか元気に戻ってもらいたいと奮闘中だ。病院に連れて行ってみたり、気晴らしに映画に連れて行ってみたり、新たな趣味や生きがいを見つけさせようと助力したり・・・。いい家族だな~って思う。おばあさん、どうか来年の棚行の時には元気な姿を見せてくださいよ。
他にも、去年行った時には娘が来年40才になるけど一人でいることが不安なんだと語っていた夫婦が、今年は嬉しそうに結婚式の時の写真を見せてくれた。
同じように、37才の息子がまだ一人なんだと心配していたお母さん。今年はニコニコと息子さんの隣に座る女性を紹介してくれた。「今年は家族が一人増えました」
また別のお宅では、亡くなった娘さんの思い出話を涙を浮かべながら語るご夫婦。「娘は冷え性だったから、仕事から帰ると手が冷たくなってて・・・。すると真っ先に認知症で寝ているおばあちゃんのふとんに潜り込むんです。そんな年寄りのところに入らんでも、こたつに入ればいいやろって私らが言うんですけど、必ずおばあちゃんにくっついて、手を温めたり、じゃれあったり・・・。ほんとに優しい子でした。」
仏壇には、おばあちゃんと娘さんの位牌が仲良く並んでいる。
今年は特にいろいろお話をしたような気がする。
人の数だけエピソードがある。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと。。。だけどみんな前向きに生きようと、必死に手を合わせている。
僕はたいしたことが言えないので聞くばかりなのだが。ただ、様々な家族の思いを背中に受け、一生懸命おつとめをする。
先祖代々。 受け継がれてきた命。
振り返るといろいろとあるだろう。長い世代を越えて、ずっと順風満帆だったなどというこ
とはありえない。深い悲しみも、大いなる絶望も、押し寄せる大きな波を全て乗り越えて来たからこそ今の自分がある。この命までつながっているのだ。
そんなことを考えながら、棚行は進んでいく。お盆はあっという間にやってくるのだろう。
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日