「一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。
一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、・・・・・」
(西洋のことわざより)
幸せっていったい何なのだろう。いったいどういうことなんだろう。
幸せになるために誰もが生まれて来たっていうけれど、どうやったら本当の幸せを見つけられるんだろう。
お坊さんになって以来ずっと考え続けていたことだった。
幸せになりたい。幸せになりたい。
強く願い続ける多くの人々。
尽きることのない幸せへの渇望は、僕たちを盲目にしていく。
「幸せはいつも自分の心が決める。」
「幸せになるのではなく、あるのに気づくこと。」
そんな名言も後押しして、ありふれた日常こそが幸せなのだと教えられる。
美味しい食事を食べることができる。
あたたかい布団で眠ることができる。
子供たちの笑顔がそばにある。
大好きなスポーツをすることができる。
あ~僕には幸せがこんなにもあったんだ。
そうしみじみと気付くことができた。
多分みなさんもそれに気付いているのだと思う。自分の中にある幸せに感謝している方々もたくさんおられる。
僕はそこで幸せについての結論に辿り着いた気になってしまった。
気付くことこそが幸せの答えだと思ってしまっていたからだ。
でも、その答えでは○じゃなくて△だったと知る。
そこで終わってはいけなかったのだ。
さらに深い答えは、僕たちが法事でもお葬式でも、朝勤行でも唱える、理趣経よりもたらされる。
なんというだろう。
僕は、毎日読んでいる経典の深い意味を全くとらえ切れていなかった。
たくさんあるはずの幸せ。
それなのになんで満たされた気持ちが長続きしないんだろう。
なんで何かを失ってみないと気付けないんだろう。
いつの間にか日常に埋もれ、幸せがわからなくなる。
溢れかえる物と情報が、より一層それに拍車をかけるのかもしれない。
たしかにそこにあるのに、その幸せはカメレオンのように日常に同化してしまう。
小さな幸せにとらわれてはならない。
そんな僕にお経は語りかける。
見えなくなるのは、自分のことばかりだからだよ。
あなたが挙げた幸せは、自らの肉体に与えようとするものばかり。
そんなのはちっぽけな幸せなんだよ。
小さな幸せは長続きしない。
大きな幸せとは、自分という枠を越えた大きな命のために、自分の命を使うこと。
誰かのために使って、笑顔が返ってきたり、ありがとうっていう言葉が返ってくると、言い表せないほどの生き生きとした感情が全身に満ちあふれないかい?
自分自身から高らかと発される仏様の言葉が、きらきらとした輝きを放っている。
すごいな。
理趣経って、深いと改めて思った。
あ~、たしかに僕の幸せは、ちっぽけな殻にこもったものだったな。
ほんとにそうだ。
大きな命に対して自分の命を使わないと、幸せなんて感じられなくなるんだ、僕らは。
水は循環しないと腐ってしまう。
生かされている僕の命。
きっとその命を生かさなければ、生きているって感じがしないんだ。
鳥が美しい歌声を惜しまず、花がその鮮やかな彩りを惜しまないように、ただ自分にあるものを・・・。
健康な肉体がある。かけがえのない仲間がある。そのほかにもたくさん。
今あるものを惜しみなく誰かに使えたならば、循環し続ける命の中で、一生幸せを感じ続けることができるに違いない。
「生かせ命。」
高野山がなぜこの言葉をキャッチコピーに選んでいるのか、僕はようやくわかった。
懐かしいメロディーが頭の中を包み込む。
「ほんとの幸せ教えてよ、壊れかけのRADIO。」
代わりに答えるかのように、蝋燭の灯がゆらゆらと揺れる。
蝋燭は、自分の身をけずって、周りを明るく照らす。
あ~、僕たちもそうでありたい。
山地 弘純
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