昨日お葬式があった。
数え年102歳のおばあちゃん。
家族にいい介護をしてもらい、子供、孫、ひ孫たちに囲まれた中でお別れの時を迎えることができて、きっと幸せだろうなって思う。
喪主である息子さんの挨拶の中でこんな言葉があった。
「母はとてもしっかりもので厳しい人でありました。
父なき後、生活の苦しい中を女で一つで子供たちを育て上げてくれた母。
気が強く頑固な母。
しかしそんな母が晩年介護をしてくれる家内に向って、感謝や気遣いの言葉をかけてくれるようになりました。
私はこれがほんとにあの母か、と思わずにはいられませんでした。」
僕はこの言葉を聞いて、深く考えさせらた。
このおばあちゃんの変化が、きっと亡きがらを見て愛おしむみんなの表情に現れているのだろう。
かわいく変わっていくことは、ほんとうに難しいことだが、とても大切なことなのだと思う。
僕も今から少しづつ努力していきたいと思った。
半年ほど前の、お盆の棚経の時、聞いたお話が僕の脳裏に思い出された。
「娘の旦那さんがちょっとメタボリック気味でしてね、おばあちゃんが言うんです。」
おばあちゃんを介護する奥さんが楽しそうに話を続ける。
おばあちゃんっておもしろいんですよ。
「メタボってなんです?」
「脂肪です(笑)」
「脂肪はあきません。希望を持ちなはれ!」
ユーモアの中に真理がある。
今の時代には脂肪は必要以上にもっている人が多いけれども、希望をもっている人はあまりに少ない。
ほんとだね~おばあちゃん。
葬儀に参列した人たちがおばあちゃんのいのちから何を受け継いだだろう。
家族や親類だけじゃない。
近所の方も、世話になったという知り合いの方も受け継がなくてはならない。
生前の感謝と共に、遺志を受け継いでいくための儀式なのだから。
僕は引き継いだ。
年輪を重ねるごとに、かわいく変わらなければならないってこと。
脂肪じゃなくて、希望を持たなければならないってこと。
まるで春のような好天に恵まれたお葬式。
式場の隅には、おばあちゃんの若い頃からの写真が、年を追ってずらっと並べられてた。
100年分の思い出を持って、最愛のおじいちゃんの元に向うのだろう。
お疲れ様でした、おばあちゃん。
山地 弘純
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