僕は兵庫県北部の秘境の地に在るお寺の息子として生まれた。
両親が結婚して以来、5年間待ちに待ち続けた待望の後継ぎだったようだ。
なかなか子供ができなかった両親は小豆島八十八ヶ所霊場にお参りし、一心にお願いした。
そのおかげで生まれた男の子。
お前はお大師様から授けていただいた子だと何度も聞かされた。
弘純。名前はおじいちゃんに名付けてもらった。
「ひろずみ」という読みのこの名前は、誰かから言われた「かっこわる~」という一言を聞いて以来嫌いだったが、家族には言わなかった。
いや、言えなかった。
その名前に込められた思いを感じていたからだろうか。
おじいちゃんが何日も何日も悩んで名前を考えていたから、自分たちで付けるとは言えなかったと、よく両親は笑って話した。
大人になったら「こうじゅん」という読み方に変わるんだということも、いつのころからか知らされていた。
僕はお坊さんになるから、訓読みから音読みに変えなければならないのだと。
僕は物心つかないうちから、お経を唱えるおじいちゃんの膝の上に乗せられ、木魚や鐘を鳴らして遊んでいた。
あの仏事に厳しいおじいちゃんが、ポクポク、ガンガン、鳴り物を無茶苦茶に乱打して大喜びする僕を好きなようにさせていたのは驚きだが、今になるとなんという先を見据えた人なのだろうかと感心する。
おじいちゃんはお坊さんの中のお坊さんだと誰もが言う。
そんな人の手によって、人格形成の根幹をなすという幼少期に、僕は仏具をおもちゃとして育った。
健康的には、小さな頃から体が弱く寝込むことが多かった。
とにかくすぐに熱を出してしまう。
幼稚園の年少組の時には3分の1くらい出席帳に欠席のシールが貼られていたそうだ。
特に3歳の時より小児ぜん息を発症。
以降季節の変わり目には激しい発作にさいなまれることになる。
3年生の時には病院に入院するほどだった。
ぜん息の発作は夜中になりやすい。
体を起こしてないと、呼吸困難で死んでしまいそうだ。ヒーヒーと激しく喉を鳴らし、小さな肩を大きく上下しながら、
「なんで僕ばっかり、こんなしんどい思いをするの?」と、涙をこぼしながら訴えたものだ。
そんな時決まって両親は、「世の中にはお前よりももっとしんどい病気の人が山ほどいるんだよ。お前が将来お坊さんになった時に、少しでもそういう人々の苦しみがわかるように、今、仏様から試練を与えられているんだよ。苦しいけれど頑張れ!」と言いながら、お大師様のお札で背中をさすってくれた。
「南無大師遍照金剛。南無大師遍照金剛。南無大師遍照金剛・・・・」
両親の唱えるその真言の響きと、御祈祷のお札で円を描くように背中をさするリズムが心地よくて、少しづつ発作も鎮まっていく。
僕はスーッとそのまま眠りに落ちていた。
山地 弘純
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