生まれ来る僕たちは、記憶のリセットとともに一つの暗示をセットされる。
それは「自我幻想」という名の暗示。
すべては自分の意志で決定し、行動しているんだといううぬぼれ。
自分中心に感情が生まれ、浮かんできた思いを叶えよう、周りを自分の色に変えようと試みる。
変わらないものには敵視し、時に争う。
自分が主役だから、正直いって周りなんでどうでもいい。
周りから見られる目ばかり気にし、
それでいて周りをちゃんと見ようとしない。
私のおかげでしょ。
あなたのせいだ。
自分を上げて相手を落とすことで保つ存在意義。
助けてくれる人、自分の役に立つ人はそばにいてほしい。
自分の意に沿わない人はどこかに消えてほしい。
見返りのために感謝し、手助けする。
返ってこなきゃ愚痴を吐く。もうしない。
喜びたいのに喜べない。
愛しているのに憎らしい。
統合しない感情。
自分大好き。
自分嫌い。
どっちにしても自分自分。
捨てセリフは、「自分のことは自分にしかわからないよ!」
わかってもらいたいのに、開こうとせずさらに閉じ込める。
「自我幻想」
手放せない。
手放したくない。
なんでこんなに苦しいの。
なんでこんなに辛いの。
ありのままの私がノックする。
苦しみは無意識からのメッセージ。
出して。ここから出して。
それに気付かず、被害妄想で上塗りしていく。
私がなにか悪いことをしたの。
どうしてこんな思いしなくちゃならないの。
いや、悪いことなんてしてやしないさ。
ただ自我が邪魔してるだけ。
その妄想を解こうとする働きかけが強いほど激しい反発をみせ、ますます垣根を強化していくんだろうね。それも何重にも。
そんなはずない、自我はあるよ。
嘘じゃない。
私は私。
崩されたくない。
誰の指図もうけたくない。
暗示は続く。
こびりついた我執から湧き出すドロドロした感情。
そんなあなたはもう、ありのままのあなたではない。
そうでしょ。
自我が傷つかないためにと、こんな何層にも鎧を身にまとって、迎撃するための武器をもっているその姿。
その上表情にまで鉄仮面をかぶせようとするの。
そんなの本来のあなたじゃないよね。
ないものを守ってるんだ。
囲うことに執着してんだ、僕らは。
そう、今までは仕方なかった。だってそこが守るべきものだと思ってたんだから。
傷つくことから必死に身を守ってきたんだから。
だけど、自我なんて本来ないものだとするならば、僕たちが1人で守るべきものは何もない。
そう、何もないんだ。
だから、その武器をおいて。
その鎧をはずして。
本来の姿に戻って。
その下にある、ありのままの自分に。
おそらく、むき出しの自分は、とても冷え冷えとして、とても怖いように思える。
とても痛くて、とても傷つくように感じるかもしれない。
でも傷つくことを恐れず、守りを固める感情も、攻撃の感情も取り払って周りと対峙できたなら、どんなに素敵なことだろうか。
壊れないよ、大丈夫。
むしろその囲い込みを解いた自分は、自由になる。
自我にまみれた自由は、ただの自分勝手。
これがほんとの自由自在なんだ。
我執を離れた自分。
ありのままの自分。
自分は自然の分身。
僕はできないけどね。
でもそうありたいって思ってる。
ドロドロした感情は取り出してしっかりと見つめ、 認めてやればいい。
今までよ~守ったなってね。
もう守らんでいいんだよって。
有るって思い込みから無いってイメージが変わるだけで、今までみたいなことはないと思う。
遠離一切転倒夢想って般若心経にあるように、逆立ちした夢想から離れ、180度視点をかえるってことだから。まさに世界が変わる。・・・はず。
怒りも貯まらない。なんにも貯まらない。僕らの中身はいのちの息吹が循環してるに過ぎないさ。・・・きっと。
これは思い込もうというポジティブシンキングではなく、本当のこと。真理だから。
だから矛盾はなくなると思うよ。・・・多分。
仏とは目覚めた人のこと。
全ての人には仏性がある。
いや人だけじゃない。
山川草木全てに仏性ありという。
ということは、僕たちの中、大自然の中には、ちゃんと幻想の暗示を解く目覚めの鍵が隠されている。
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日