また今回も、法事が楽しかった。
小学校低学年から下の子たちが6人もいて、しかも正面に座って一緒に読経してくれちゃったりすると、やっぱり雰囲気も変わるね。
お経の本をみんなに配るんだけど、文字を一生懸命辿って発声し、澄み切った高音の声を僕の低音の声に重ねてくれるのがとても心地よかった。
終わっていつも小難しい法話をするんだけど、今日は子供達に合わせた話をさせてくださいと断って僕は話した。
ワンパターンだけど、小さい子供たちには地獄と極楽のお話。
まー僕は地獄絵や極楽絵の世界観は方便だと思っているので、地獄や極楽なんてない!とも言っちゃえるんだけど、でも敢えて地獄と極楽という言葉で、境遇をつくり出す心のイメージを伝えたいんだよね。
話自体はけっこう定番なのかもしれないけれどね、僕の解釈を加えてる。
話の筋はこうだ。
閻魔大王の前に来た男はまだ死ぬ予定のない男で、間違ってここまで来てしまった。
だから元の世界におかえりと言われる。
でもまーせっかくだから地獄と極楽の両方を見て帰るがいいと案内されるのだ。
さて、地獄には大きな釜があって、その周りに人々がぐるっと座っている。
釜の中にはグツグツとお湯が沸いていて、その中にはうどんが煮えている。
(うどんというところで子供達が笑って顔を見合わせ合う)
そして人々の前にはなが〜いなが〜い箸。
それでうどんを食べようとする。
しかし地獄の人たちは「自分が自分が」としか考えられないので、人に食べされてあげるということは考えることができない。
それに人に頼るということもできないので、お願いもできない。
うどんはどうやっても食べることができない。
次第にイライラとしていき、けんかを始める人々。
それを見た男が一言。
「あー、ここは地獄だ!」
そして今度は極楽につれていってもらう。
極楽にはなんと、大きな釜があってその周りに人々がぐるっと座っている。
(どんな素晴らしい世界かと想像してたであろう子供達はおんなじじゃないか〜とまた笑う)
釜の中には、グツグツとお湯が沸いていて、
(子どもたちの顔がどんどん蒸気してくる)
その中には、なんとうどんが!
(子どもたち大爆笑。えーまったくおんなじだ〜)
そして人々の前にはなが〜いなが〜い箸。
それでうどんを食べようとする。
すると極楽の人たちは「自分が」だけでなく「周りのことも見える」人たちなので、自分ができないことは人に頼ったりお願いをすることができるのだ。
「うどん食べさせてもらっていい?」
「うんいいよ。私も食べさせてほしいな〜」
そうやってみんなはなが〜いお箸をつかって、お互いを食べさせあった。
みんなの笑顔が広がって、楽しそうな人々。
それを見た男が一言。
「あー、ここは極楽だ」
(今度は大人たちがなるほどとうなずいている)
そう、地獄と極楽は同じ世界。あなたの心が決めるんだよ。
ほんとは死んだ後のことじゃなくって、今の自分の心が、苦しい世界、楽しい世界を作り出しているのかもしれないね。
こうして法話を終えた。
子どもたちは終わった後も、
「釜の中にはお湯がグツグツ!」
「なんとうどんが!」
などの言葉をしっかりと覚えて、笑い転げてた。
「よく一回だけで覚えたな〜」と僕は嬉しくて声をかけながら、僕だけに出してもらったお茶すする。
その横には一つ和菓子が添えられていた。
一人の子が「そのお菓子食べたいな〜」と言った。
大人たちのやめなさいという声をよそに、「あー、いいよ。食べて食べて〜」と返す僕。
すると他の子たちも欲しそうな顔。
どうするかな〜と思ったら、「なんとお菓子が!」とかなんとか言いながら、ワイワイと寄り添いあって、その小さな一つの和菓子を六等分に分けてるの。
その姿が超かわいくて、思わずパシャリ。
「あーここは極楽だね〜」と僕。
みんなが笑顔。
楽しかった〜。
山地 弘純
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