高野山の壇上伽藍の裏通りにひっそりとたたずむ宝寿院。
80名収容の寮を完備している。
この宝寿院が真言宗の道場『専修学院』である。
4月初、髪を2ミリに刈り込んだ僕は、不安と緊張からくる重い足取りでその門をくぐった。
前日バリカンで髪を刈るときには、やはり今の自分と別れを告げるような寂しさと、見慣れないザラザラの坊主頭に対する気恥ずかしさがあった。
ついに来てしまったな。。。
空を見上げ、大きく息をはいた。
外部との接触を断ち、この宝寿院の中で一年間を過ごす。
僕達の代は、定員いっぱいの80名だった。
もちろん試験で落ちたものもいる。
寮は2名1室の全寮制。
慣れない集団生活と厳しい管理主義にとまどいながら、一日一日をなんとか過ごしていった。
予想通りお寺の息子が多く、4分の3ぐらいの人数を占めていたが、中には在家からお坊さんを志望する人や、道を求める人も修行に来ていた。
高野山大学を経ずに他の大学卒の人。あるいは高卒の人。あるいはサラリーマン生活を経てここに来た人もいる。
年齢も18才から45才くらいと差があった。
衣を着けることもできず、お経を唱えることさえできない人もかなりいる。
その中で、僕は小さな頃から教え込まれてきたため、少し詰め込みに余裕ができて助かった。
ただ、朝夕の勤行、掃除、声明、御詠歌、お茶、お花など、学ぶことは山ほどあった。
毎日続く精進料理は、ご飯と味噌汁とその他一品。
常に頭をよぎったこと。「あ~肉食べたい。。。」
夜消灯後に、ルームメイトのヨッシーと毎日のように同じ話をする。
「な~、ここ出たら最初に何食べたい?」
「う~~ん。。。肉。」
ここでは頭の中で思い浮かべるのがごちそうだ。
「食べたいもののベストスリーは?」
「ええっと、焼肉と~、ラーメンと~、ハンバーグ!」
「あ~、それいいな~。」
僕らはいったいどれだけ肉に依存しているのだろう。
部屋の片隅に貼られたモスバーガーの広告が、むなしく隙間風に揺れていた。
テレビもない。情報はまったくわからず、世間から取り残されていく。
新聞も9月からは読めなくなった。
それでも、みんなともだんだん仲良くなっていくにつれ、閉鎖的な空間ではあるが、それなりに楽しかった。唯一出れるのは伽藍と奥の院の参拝のみ。それもいいリフレッシュだった。
しかし、専修学院前半は準備期間のようなもの。真の修行は9月からだった。
これより100日間、一心に「加行」と呼ばれる行法を行う。全てををやり遂げないと、真言宗のお坊さんにはなれない。
(つづく)
山地 弘純
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