僕は兵庫県北部の秘境の地に在るお寺の息子として生まれた。
両親が結婚して以来、5年間待ちに待ち続けた待望の後継ぎだったようだ。
小さな頃から体が弱く、寝込むことが多かった。
幼稚園の年少組の時には3分の1くらい出席帳に欠席のシールが貼られていたそうだ。
3歳の時には小児ぜん息も発症。
以降季節の変わり目には激しい発作にさいなまれた。
3年生の時には病院に入院するほどだった。
ぜん息の発作は夜中になりやすい。
体を起こしてないと、死んでしまいそうだ。
ヒーヒーと喉を鳴らし、呼吸困難で肩を大きく上下しながら、
「なんで僕ばっかり、こんなしんどい思いをするの?」
と、涙をこぼしながら訴えたものだ。
そんな時決まって両親は、
「世の中にはお前よりももっとしんどい病気の人が山ほどいるんだよ。お前が将来お坊さんになった時に、少しでもそういう人々の苦しみがわかるように、今仏様から試練を与えられているんだよ。」
といいながら、お大師様のお札で背中をさすってくれた。
「南無大師遍照金剛。南無大師遍照金剛。・・・・」
両親の唱えるその真言の響きと、お札で円を描くように背中をなぞるリズムが心地よくて、少しづつ発作も鎮まっていく。
僕はそのまま眠りに落ちていた。
お寺を継ぐことに何の抵抗も覚えなかった小学生時代。
身体は弱かったが、それなりに成長していった。
いつしかお経を憶え、お盆参りで各家々を回るのについて回った。
こぼんさん姿がかわいいと近所の方々から言われ、きっと必要以上に張り切っていたのだろう・・・
こうしてお坊さんになるべく数々のマインドコントロールを加えられながら(笑)人並みに育った僕だったが、身体が丈夫になるにつれ反発心が芽生えていく。
高校の部活で入ったサッカーにのめり込み、おかげで小児ぜん息はほぼ完治したが、お寺の活動一切を敬遠するようになった。
いつしか生じた想い。
「僕はお坊さんにはなりたくない。
サラリーマンになりたい。」
いったいどんな会社のサラリーマンに?
そんなのなんだっていい。
とにかくサラリーマンになりたい。ビシッとスーツを着こなして、ネクタイを締めて・・・
あんなお坊さんの着物なんて着たくない。
(つづく)
山地 弘純
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