午前7時50分。7人家族全員で車に乗り込む。
「さあ、のぞみ、景気づけをお願いします!しゅっぱ~つ」
「しんこ~!」
のぞみのお得意の掛け声を合図に意気揚々と発車した。
鳥取道を通り、粟倉ドライブインで一度休憩を入れ、分岐後佐用で降りる予定だったが、どうやら反対に進み、時間を30分以上ロスしたこともあったが、それも笑い話になるだろう。
瀬戸大橋途中の与島で昼食をはさみ、ゆったりとしたドライブを楽しむ。
高松中央インターチェンジで高松自動車道を降り、一般道を北上する。
イオンを左に見ながら、信号を右折した。
「そこの橋を渡って」
父さんと母さんのぎこちないナビゲーションを頼りに走る。
いよいよ近付き、
父さんが四国の山地に携帯電話で尋ねる。
「ゴルフの打ちっぱなしのところを右に折れて、つきあたりの信号を右折。クリーニング屋の前ですね。」
約6時間かけて辿り着いた目的地では、山地の本家のおじいさんと、近くに住む分家のおじいさんとおばあさんの3人の姿があった。墓地に駐車場はなく、クリーニング屋さんに許可をいただきしばらく停めさせていただく。
「よう来てくれたね~」と迎えてくださった3人。おばあちゃんとは、やはり懐かしさで話が弾んでいるようだ。おばあちゃんが紹介してくれながら、みんなが代わる代わる「はじめまして」の挨拶をした。
僕はたくさんのお墓がある共同墓地を見渡した。区画整理されていない墓地は、山地家の墓を見つけ出すには困難だったが、本家のおじいさんが案内してくれる。
「ここがうちの墓だよ」
ちょうど中央の辺りだろうか。
歴代のたくさんの墓石が寄せ集められ、真ん中に「山地家の墓」と書かれた一本の墓石が建てられていた。
「最近、お墓の整理をしたんだ。」
いわゆる寄せ墓というものだった。おばあちゃんは記憶と違う今のお墓の様子にやや戸惑っているようだったが、いろいろと質問していて、これが自分のお父さんのお父さんの墓石だとかいうことを確認している。
僕の聞いたことのない人の名前がたくさん飛び交っていた。
そうか、ここが・・・。
僕も父さんも改良服を持ってきていたにもかかわらず車に載せたままで、数珠と簡易袈裟である小野塚だけを着ける。ま~お坊さんと言うより、ただ山地家の子孫としてでいいか。
のぞみとまゆが墓石にお水をかけてくれる。お供えというより、水遊びって感じだけど、それでもこの子達と来れたことがとても嬉しかった。
おばあちゃんも、「ご先祖さん、なんとひ孫と一緒に来ることができました。」とつぶやきながら涙目で両手を合わせている。
じっとしてない二人の子供達を抑えつけながら、みんなでおつとめをした。
それは熱い熱い日差しの下だった。
「みんなそこに並んで」
僕はお墓を中心に家族写真を収めたいと思っていた。
お墓が密集していて、正面は他のお墓が邪魔になったりして斜めからになったが、7人揃った記念写真を撮ることができた。ずっとずっと忘れないために。
続いて同じ墓地内にある分家のお墓にもお参りした。多分ひぃおじいちゃんの兄弟になるのだろう。
この後は自宅へと誘って下さったが、これ以上迷惑をかけるのもと、その場でお別れすることにした。
別れ際に、四国の3人さんにも入ってきたいただき再び写真を撮る。ほんとにお墓の案内にわざわざ足を運んで下さったことに感謝している。
一生知ることもなく、消滅してしまいかねなかった繋がりの糸が、再び光を放ったのはこの上ない喜びだし、なによりおばあちゃんの嬉しそうな顔を見ていると、ほんとにお墓参りに決めてよかったなって思う。
一番の目的を達成し、長旅に疲れたおばあちゃんとお父さんのために、僕たちは早めに宿に入り、一泊した。
次の日は、もう一つの目的地に向う。そこにもまた大切なお墓がある。
なぜなら、おばあちゃんの元に婿入りしてきた僕のおじいちゃんも、香川の人なのだ。
今度は一家で丸亀へ。
今も色濃い付き合いをしていただいている丸亀のお墓には、僕も何度か行ったことがある。
しかし妻と子供たちは初めてだった。
結婚式にも参列していただいた内海家の方々。「四国にも遊びに来てね」と言われていた約束も果たすことができる。
「こっそり行こう」と、勝手知ったるお墓へ我々だけでお参りする。
今度はおじいちゃんのルーツである内海家の墓地でみんなでおつとめをした。
相変わらず子供たちが大活躍している。
「もう一人のひぃおじいちゃん、そして御先祖さま、僕の妻と子供も連れてくることができました。よろしくお願いします」
多分みんなが同じようなことを思いながら手を合わせたのだろうと思う。
再び撮った写真は、今度は内海家の墓石を中心としている。幸せだなって思った。
お宅にもしばらくお邪魔してお仏壇をおがませていただいた。突然の訪問でご迷惑をお掛けしたと思うが、快く迎えていただいた。
それから善通寺により、お参りをして、帰路に着く。
お昼すぎに出発し、夜7時くらいには着いたと思う。
おばあちゃん、ほんとに長旅お疲れ様。
くたびれを出さないでねって思った。
僕は帰るなり写真を印刷する。大きなA4サイズの写真を2枚、額に入れておばあちゃんの部屋に飾った。おばあちゃんはとても嬉しそうだった。
「まさかこの年になってひ孫と四国のお墓参りができるなんてな~」
何度も聞いたこのセリフが、再びこぼれおちた。
お父さんとお母さんにもとても感謝された。
「こんな企画をお前がしてくれなければ、みんなが動くことはなかった。お墓参りなんてなんで思いついたんだ?それにしてもほんとにいい旅だった。」
片道6時間もかけて、してきたことはお墓参りだけなんだ。
それなのにこの後から後から湧き出してくる幸福感はなんなんだろう。
それは写真を見れば一目瞭然だった。
お墓を中心として写った僕達は7人だけじゃなかった。
きっと多くの人たちが見えないけれど写っているんだ。僕達を支えて下さってるんだ。
その上で成り立っている僕達の幸せ。
ずっとこの時が続けばいいのに。
おばあちゃん、お父さん、お母さん、僕、妻、のぞみ、まゆ。
しかし世の中はとどまることなく動き続けている。
やがて一人欠け、二人欠け、三人欠け、そんな日がやってくるのだろう。
いい時ばかりじゃない、辛いこともあるだろう。
希望あふれる時から絶望へと落ちることだってなきにしもあらず。
あ~いいさ。動き続ける世の中だからこそ、今この瞬間が美しい。
どんなことが起ころうとも、この写真があれば立ち向かっていけるって信じてる!
夢にみた旅行の行き先は北海道でもなく、ディズニーランドでもない。 ただの一体の石の建っている場所だった。
しかしそれはみんなの心のふるさと。
おばあちゃんの伝えたかったこと、確かに受け取ったよ。そして僕は、きっと記憶には残らないであろう子供達に、いつか写真を見ながら説明してあげよう。
四国は僕達のルーツなんだと。
深い深い根っこを辿れば、ここに辿り着くんだよって。
今度はいつ行けるだろう。何人で行けるだろう。
しかしご縁を繋いだ今、もういつだって行ける!
たとえ小さな夢でも、願わないと叶うことはない。
自分から動かないと物事は回って行かない。
そう実感した今回の旅。
全てがうまくうまく事が運び、長年堰き止めてきたもの全てを流し去ってくれた。
もしかすると、案外堰き止めているのは自分の心なのかもしれない。
これからも踏み出そう。
どんなに無理かもしれないことにも勇気をもって・・・。
冷めることのない余韻。
僕の夢は、最高の形で叶えられたよ。
ありがとう。
山地 弘純
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