3月初旬。
住職は四国八十八ヶ所霊場巡拝に団体を引率し出発した。
僕も行きたかったが、2人ともがお寺を空けることもできず、残念ながら留守番だった。
お寺の予定表はその4日間のほとんどが空白で、気は楽だった。
しかしこういう時に限って、突然のことが舞い込んでくる。
そう、前回も、前々回も。。。
今回こそ、何もありませんように。
そんな思いをかき消すかのように鳴り響く電話の呼び出し音。
嫌な予感からか、音量がいつもより大きく感じる。
住職が出発してすぐのことだった。
「今朝早く、おじいさんが亡くなりました・・・」
そんな。。。
多くないお葬式が、よりによって住職のいない時になぜこんなに。。。
僕は逮夜参りや法事は何度も勤めさせていただいた。
でもお葬式はほとんど全て住職が執行することにしている。
だから経験としては不足気味だ。
僕が初めてお葬式で導師を勤めたのは、忘れもしない10年前のこと。
老人福祉施設から依頼された、身寄りのないおじいちゃんだった。
修行終えて間もないひよっこの僕は、とにかく無我夢中で印を結び、必死に真言を唱えた。
会葬者は施設のスタッフ数名のみ。
寂しいお葬式。そう世間的には表現されるのかもしれない。
だけど、「今は見送ってくれる家族もいないけれど、仏様の国ではきっとなつかしい家族がまっていてくれますからね」って思いながら引導を渡したのを覚えている。
2度目のお葬式も施設の方だった。
それから寝屋川、京都、歌長、浜坂、数久谷、神田2軒、高砂、久斗山と勤めさせていただいた。
まだ指折り数えられるほどの経験。
どのお葬式も、僕にとって深く胸に刻み込まれている。
それにしても、住職が四国遍路の間に亡くなられる方の多いこと。
そろそろ独り立ちしなさいと、みなさんが僕にそう言ってくださっているようにも思えた。
まずは戒名を付けなくてはと頭を悩ませる。
戒名は死んだ時に付けられる名前と勘違いされる方が多いが、仏様の弟子となる戒を受けた時に与えられる名前だ。
本当は生きているうちにちゃんと仏様の教えに帰依し、戒名を授けてもらうのが一番理想的といえる。
だから、どんな生き方をしてきたかで戒名が決まるわけではない。
生前の名前から一文字が必ず使われるというわけでもない。
仏様の弟子として、新しく生まれ変わるための名前だ。
子供の輝かしい未来を願って名前を付ける両親のように、輝かしい仏の道を歩んでいって欲しいと思い、僕は戒名を付けている。
まずは4字の戒名の2文字を決めた。
「春海・・・」
なんだかんだ言いつつ、俗名の一字も入り、生前の生き方も含めてしまった。
とにかく穏やかで優しい人柄が、印象的な方だったから・・・。
「春の海 ひねもすのたり のたりかな」
与謝蕪村の句が頭に浮かぶ。
「春の海は、一日中のたりのたりと、穏やかに波が行ったり来たりしているよ」
そんな情景を名前に入れ、どうか仏様の元でもそのままに、いや今まで以上に穏やかなる悟りを手に入れてくださいと願いを込めた。
あとの二字は、最初の二字が決まると不思議にスッと浮かんだ。
戒名を付けると、お葬式で使う位牌や塔婆、四本旗、小天蓋、帯棺、菅笠などの書き物を筆書した。
住職のように上手くは書けないからこそ、精一杯書いた。
お葬式は雨に見舞われた。
春海のイメージ通りの天候になればいいのにと思ったが、御家族の涙を見ていると、シトシト降り続ける雨が心を共有してくださっているのかなと、思い直した。
僕は住職のように流れるように引導の作法を行うことが出来ない。
威厳もなく、安心感もない。
それでも僕にできることを。。。
合間に御詠歌を入れた。
追弔和讃をお唱えする。
人のこの世は 永くして
変わらぬ春と 思えども
はかなき夢と なりにけり
あつき涙の まごころを
みたまの前に ささげつつ
面影しのぶも 悲しけれ
しかはあれども み仏に
救われていく 身にあれば
思いわずらう こともなく
とこしえかけて 安からん
南無大師遍照尊
南無大師遍照尊
人の世って、永くていつまでも続くような気がしてた。
いつまでも変わらない今があるって思ってた。
そんな思いを打ち砕くように、突然別れの瞬間がやってくるなんて思いもしなかった。
できることといえばこのあつく流れ落ちる涙をささげるだけ。
あ~なんでこんなに悲しいんだろう。
生前の思い出が浮かぶたびに辛く悲しくなってしまう。
でも、御仏に救われていく身なんだ。
そう自分に言い聞かせてみる。
すると心が軽くなるような気がする。
そう、私は信じる。
思い煩うことはない。
信じていれば、安らかな気持ちでいられるだろう。
亡きあの人の心も。自分の心も。
ただひたすらお大師様の真言をお唱えしようと思う。
「南無大師遍照尊 南無大師遍照尊」
心配しなくていいですよ。
あとは仏様にお任せすれば。
導いてくださる仏様に・・・。
そんな僕のメッセージは届いただろうか。
「葬式を商売にするような職業につきたくない」
そんな言葉を言い放ってお坊さんを継ぐことを拒絶した、僕の弟のようだったあの子の顔が思い出される。
僕はどう写ってる。
君の目から見て。。。
そうならないように頑張ってるつもりんなんだ。
まだまだだけど・・・
山地 弘純
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